今年もタリンにやってきた。最初にタリンに来たのは、2014年11月29日一泊、次は2018年11月21日でe-residentになった年のことだ。ちょうどCoworking EuropeでWorklandの社長が登壇していたので、その縁で訪問させていただいたスペースが現在世話になっているWorklandだ(他にも5箇所以上訪問したが、一番好印象だった)。その時の写真が残っている。現在アサインされているデスクは、この写真の奥の暗がりになっている部分でこの部分のレイアウトは当時と大差ない。
翌年、タリンの(EU法準拠の)会社をリモートで登記した。勢いをつけようと思って2020年の夏に1ヶ月滞在しようと計画したが、新型コロナがでて見送りになり、その次に来たのが2021年11月21日〜12月10日。まだコロナ下だった。2021年の12月5日に教会の前で声をかけられたので、礼拝に参加させていただいた。その後、当地にいる時は特別な予定が入らない限り日曜日はその教会に通わせていただいている。2週間以上滞在することにした2021年から毎年だから、今年は5年目ということになる。2022年からは頻繁に通うバーも決まり、徐々に仕事に全く関係のない友人もできてきた。それから数年、毎年11月来るやつとして他の客からも常連扱いを受けている(ホテルも毎年同じところを使うので昨年から特別レートが個別に提示されるようになった)。中には、俳句を書いたから読んでくれとローマ字の俳句を見せられたこともある。宗教の話も出て、自分がクリスチャンであること、タリンではメソジスト教会に出ていることを表明すると、俺にはメソジストと言えば歌ってばかりいるという印象があるとあまり好意的でないコメントももらった。日本の教会でもメソジスト系の教会は音楽に熱心なイメージがある。
昨年の訪問時のことはタリンメソジスト教会の礼拝に参加したで書いている。今日は、王であるキリストと名付けられている祝日、教会暦で言う年度の最終日である。説教で取り上げたのはコロサイの信徒への手紙1:12-20で、カトリックの第二朗読の箇所だった。エストニア語の説教を英語に同時通訳したものがイヤホンから聞けるのだが、説教は自分が理解できる言葉であっても内容は拾えないことが少なくないのだから、ましてや同時通訳の結果の英語だとほとんどわからない。もう想像しながら聞くしか無いのである。日本語の聖書はスマホに入っているから、その箇所は日本語で読む。英訳はNIVが用いられていて、朗読時はエストニア語の箇所の下にNIVも投影される。新共同訳とNIVでなんか違うと感じる瞬間もあり、できればエストニア語も少しは拾いたいという欲望も出てくるのでなかなか集中できないのも難だ。
多分聞き取る力が足りないせいだと思うのだが、全般的にイエスの美化、パウロの持ち上げ感の強い説教であまり響いてこないのは残念だった。
とにかく日曜日は教会へという習慣を大事にしようとしているものの、これで良いのだろうかという思いはよぎる。ちなみに先週の日曜日は奈良で所要があったので、最近通わせていただいている近場の教会のWebを京都・奈良間の電車で拝見したのだが、ざわざわした環境でスマホとイヤホンで参加しても全く身が入らなかった。物理的な教会という場、共に集う人々から伝わってくる波動と言うか、ライブであるかどうかはかなり影響する。もちろん、ライブであっても、言葉が違えばかなり変わるし、牧師が醸し出す空気も大きく影響する。教会はコミュニティなのだ。
昨年の11月23日は雪が積もり始めた日だったが、今年はまだ積もっていない。積もり始めたり凍結が深刻になればスニーカーからスノーブーツに履き替えが必要になる。今年は、まだ歩きやすくて助かる。クリスマスマーケットも大盛りあがりだ。写真は、昨夕16:27のもの。午後3時半ころが日没なので、もう4時半は夜なのだ。
アドベントまでまだ1週間あるが、観光客を含めてクリスマス祝賀ムードが濃厚である。
全くの蛇足だが、前職を辞めた時には街でのつながりは皆無だったが、同じ喫茶店に繰り返し行ったり、意を決してバーに通ったりして、今までの世界と違う世界に多少入らせていただくまでには2年ほどかかった。上手な人は短時間でうまくやれるが、ここを(ここも)自分の居場所にしたいと願えば誰でもなんとかなるのだろう。