CGMとOpen web

Open webは、ある意味でsemantic webと近しいもので、メタ情報のデファクトスタンダードが緩く収束することで、個々のコンテンツの自由が高まるという世界観に立っていると思っている。

2022年のDrupalConプラハで、Driesが改めてOpen webに言及していた。SNSや様々なブログサイトなどでプロプライエタリなサービスプロバイダーが記事を取りまとめてそのサイトを利用するのが当たり前になってきていて、Open webは劣勢に見える。2019年にDriesがThe Open Web can still winという記事を書いているが、現時点ではまだその流れは来ていない。ただし、SNSは広告に埋め尽くされ、Fake News問題も深刻化している。プロプライエタリベンダーの隆盛は曲がり角に来ていると考えて良いだろう。

改めて、Consumer Generated Media(CGM)のことを考えると、FacebookだろうがTwitterだろうがアカウントが凍結されてしまえば終わりである。自分は大丈夫と思い込むことはできるが、現実には自分が掲載した記事はベンダーの管理下にある。

私がイメージする2つのモデルの違いを図示したのが冒頭の画像だ。

Web3で実装すれば個人サイトは自分以外は誰も手を出せない永続ストレージとすることはできそうだが、そうでなくてもDrupalのようなCMSを自前で建てるか、あるいは自分の権利を手放さない形でサービスプロバイダーに自分のコンテンツを置くことは可能になる。もちろん、このtakayuki.hagihara.tokyoサイトのように自分のサイトとして公開することもできるが、ただ公開しただけでは「私の詩集」を手に持って街の片隅で売っている人と変わらない。だから、どこかの入口サイトを経由して見に来てもらうことになる。現時点では世界最大の入口サイトはGoogleだろう。ここで検索して誰かの関心を刺激すればサイトに来てもらえるだろう。一方、被検索対象があまりに多いので、やはり「私の詩集」状態と大差ない。日本で技術系の記事を書くのであれば、Qiitaで投稿するとか、Advent Calendarに登録するとか、ユーザーを絞った空間に出していけばチャンスは増えるだろう。広告モデルで運営するところもあるだろうし、何らかの課金モデルで運営する入口サイトもあるだろう。

ブログ記事であれば、ブログ記事のタイトル、概要、作者、公開日、更新日、タグ(taxonomy term)、いいね数などが属性情報(metatag)となる。Qiitaのように入口サイトで日本語、技術系という絞り込みが入っていると、ぐっとSN比が良くなり検索精度も上がるし、良質な記事が発信できれば読んでもらえる可能性も高まる。競争空間が提供されれば、良い点も多いが、多くの人が集まるようになると必ずルールの限界をついている怪しげなプレーヤーが出現し、気がつくとFake Newsが増加し信用できない空間になってしまうことも少なくない。

Open webの世界は、コンテンツは自分で管理する世界だから、真面目にこつこつやっている人は、入口サイトを渡り歩いていれば良い。良い記事も、至らない記事もその人の歴史だから、蓄積していけば素のその人を浮かび上がらせるものになっていく。誰でも間違いは犯すが、流行を追っただけの発言とか、関心を集めるためだけの嘘とかを消しても良いし、消さなくても良い。ポイントは元ネタを自分で管理するところだ。ブロックチェーン技術を用いれば、本当にそれが誰の仕事だったのかを証明できるようになる。記事を消せなくするとともに、第三者にアクセスキーを預けて内容にアクセスできる人を限定することもある程度可能になるだろう。

私は、もう一度Open webは注目されて良いと思う。schema.orgはそのままでは足りないような気がするが、DrupalのContributed modulesのような形で実装が伴った標準が提供されるようになれば、ハードルは下がる。例えば、散歩の記事であれば、その散歩の範囲を緯度経度の矩形でタグ付けし、記事のタイトル、概要、作者、公開日、更新日、タグ(taxonomy term)、いいね数などの属性情報に加えられてフィードがやり取りされるようになり、個人サイトがそのフィードを入口サイトに向けて登録するような形になれば、コンテンツは個人の管理に残したまま、多くの人がそのCGMの恩恵を受けられるような未来は想像可能だろう。関連して、Fake Newsフィルターが実装されて、その入口サイトの基準に従って表示順位が制御されることになると思う。ただし、オープンな世界であれば、入口サイトは複数併存できるから、一定以上の品質が保たれている情報が恣意的に排除される可能性は下がる。

グルメ情報だって、スキーマが決まっていれば、レストラン等が自前で情報を準備すればよいし、評価記事だって、個人サイトに原本がある形でよい。もちろん従来型の評価記事を管理するサイトでアカウント登録して記事を書く形を継続しても良い。しかし、散歩の途中で寄った喫茶店のケーキの評価は、散歩の経験の一つとして参照されることも、そのメニューの評価として参照されても良いし、その評価からその作者に興味を持って別な関係性が成立することもあるだろう。Open webの世界はプロプライエタリベンダーの価値観に押し込まれることのない世界観が実現できる世界だ。多少壁が高くても、私はそういう世界の方が楽しそうに感じるのである。

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