ワーケーション/地方創生の未来

今日、テレワーク協会の会合に出て、その後しばらく経って、晩の散歩でひらめいた。

  1. テレワークで勤務地の制約がなくなったら、自分の居たいところに行く自由を手に入れられる
  2. 休暇で行きたいところに気軽に行くのが短期ワーケーション、自治体はちょっと儲かるが採算が取れるかは怪しい
  3. 移住につながるのは長期ワーケーション、自治体は人口が増えて税収アップで採算が取れそう
  4. だけど、移住流動性が高まれば、流入した人は簡単に次の場所を目指すから、移住は自治体のゴールにはならない
  5. 上記に基づく仮説:街づくりはライフシーンに特化した環境構築に焦点を当てることになる

例えば、夫婦と小学生の子供が1人の家庭を想定してみると、個別の事情はあるだろうが、子供の将来を第一優先に考える可能性は高いと思う。もし、子供の教育や、放課後の環境など、素晴らしい環境(どこかの自治体、あるいは外国かもしれない)があったと仮定してみよう。夫婦共稼ぎでもどちらもテレワークで仕事が継続できるとする。そういう条件を満たす家族のある程度の割合は、子供のために移住を決意するだろう。親にとっては、それが幸福なことだ。やがて中学生、高校生になると、また移転するかもしれない。孟母三遷だ。それで子供が順調に育てば、されに親の幸福感は増すだろう。

自治体の視点で見ると、そういう家族が移住してくれば、地方税収は増えるし、かならず消費するから街は活性化する。ただし、その期間は永久ではない。だから、次に移転してくるもう少し年下の世帯にPRして維持拡大を目指すことになるだろう。単に大きくなれば良いということにはならないはずで、うまみに溺れれば破綻する。街づくりは、短期の利得を目指すと長期では負ける。確率論だが、原発誘致のようなものだ。

振り返って、自分の経験で考えると、ニューヨークに住んだ経験が強烈だった。アメリカには軽く50回以上行っていたが、住む経験は全く別だったのだ。私は東京生まれの東京育ちなので、移住の経験がないが、親はどちらも東京の人ではない。複数の街に住んで、そのたびに経験を重ねたのだろう。私は、最初にミラノに出張した時に新しい場所を見ることの魅力にとりつかれた。税関の経験とか、レストランで差別された経験とか、その後のイギリス、スコットランドでの体験とか、自分がどれだけ井の中の蛙であったかを実感した。その後、たくさんの旅を重ねたが、ニューヨーク赴任ははるかに強烈だった。旅で行くのと住むのは全く違うのだ。

ワーケーションを旅と捉えれば、上記の2だ。私は、会社人間だったので前職を辞し、8年半前に創業して一人になった時は、実は居住地への旅だったのだ。自分の街のことを何も知らなかった。3年ほど経過してようやく地元の店の常連になってみて、本当にいろいろな人がいて、いろいろな経験をしてきていることを知った。私は会社人、あるいは日曜日の教会人としての視点しか持っていなかったのだ。本当の意味で、今の街に移住してきたのはその時なのだと思う。

私は、この8年の間にいろいろなところに旅してきた。様々な経験をしてきたが、特にエストニアに関心がある。古く、新しい国で、e-residencyプログラムという革命的な施策を実施している。再独立した小国だから、自分の長所を見つめつつ、実施せざるを得なかったのだろうとも思う。だからワーケーションとして最低1ヶ月は滞在したいと思っている。短期間の旅とは違うものが見えると思うからだ。その行き先は、沖縄でもよいし、釧路でもよい。私の場合は上記の1の自分の居たいと思ったところがタリンだっただけだ。本当は14日の日曜日に出立の予定にしていたが、タリンの感染状況が深刻なので一旦見送っている。簡単ではないが、一定のリスクを取ってもなんとか行こうと可能性を模索している。

エストニアがすごいと思うのは、上記の3にこだわらないところだ。移住しなくても、e-residencyプログラムで起業してもらえば税収は増える。その発想がすがい。

インターネットは、本当にすべてを変えつつある。ライフスタイル革命はまだ始まったばかりだ。