今後技術が進化すればハイブリッド会議、ハイブリッド集会は可能になるかも知れないが、私はフェアネスを保つことができる日は来ないと考えている。ハイブリッド会議を許容するとしても、リーダーのフェアネス意識が低ければどうにもならない。そして、中心にいる人は自分がフェアでないことに気がつくのは難しいのである。
ハイブリッド会議を効果的に運営する8つの実践法という記事がある。副題に「リモートでの参加者を傍観者にしてはいけない」とあるハーバード・ビジネス・レビューの記事だ。
最初に音声環境に触れている。ただし、遅延に触れられていない。私は合唱ができるレベルの品質が達成されるまではハイブリッドは機能しないと考えている。実は、コンサートでも大規模会場では音速の壁がある。目で見る演者と聞こえてくる音には微妙に遅延があり、場所によって体験は異なる。その分野のプロの人達はよく知っているし、それを理由に小さな会場を好む人もいる。リアルな会議でも、席の配置によって結果に影響を及ぼすのは重要なミーティングを繰り返し設定してきた人はよくわかっている。リーダーはミーティング技術に関する知識を持っているとは限らないし、より大事な何かをより大事にしたほうが良いが、会議に関する最低限の知識がなければフェアネスを保つことはできない。
コロナ禍でオンライン会議が強いられたことで、フェアネスが意識されるようになった。ハイブリッド会議がフェアネスを大きく損なうことを経験し、全員オンライン会議の対等性の高さを実感した。一方で、対等制の高いオンライン会議が従来の会議より生産的かと問えば、Yesと言えるとは思わない。『マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが最近述べた通り、「我々は、リモートで参加する人たちも常に同等の立場で参加できるようにしたい」のだ』という考え方に賛同するが、会議であれば、第一のゴールは会議の成果を出すこと(結果)であって、フェアネスの確保(プロセス)は劣後させるのが現実的だ。ただし、一回のイベントであれば結果中心で良いとしても、ある程度の期間、中長期視点に立てばプロセスを軽視すると品質の低下を招く。無視し続けていればやがて組織を破壊してしまう。プロセス軽視は破滅への道だ。その現実を直視することなく技術的な解決を探るのは適切とは思わない。
もちろん、理想を言っていても問題は解決できない。件の記事の8つのチップスは十分実用的だ。私は中でも「(7)力のある進行役を任命する」は非常に重要だと思う。議長は会議の結果に責任を負うことになるが、進行役はフェなネスに責任を負うことになると考えるのが適切だろう。GCUCのオンラインイベントに出席した時に進行役の意義を強く感じたのを思い出す。コワーキングの世界はフェアネスが失われればすべてが水泡に帰す世界だ。セッションリーダーは自分のポジションに基づいてセッションを進行するが、複数人からなるスタッフチームは徹底的にフェアネスを守ろうと努力していた。それらスタッフの中には強い意見を持っている人も少なくないのだが、フェアネスを保つ役割を担っている時は、その使命に忠実に従った行動がとれていたのが印象に残っている。アンカンファレンスは結論を出すことを目的としないからなりたっていたとも言える。
ハイブリッド会議が「会議」であれば議決が目的となる。責任の所在があり。プロセスがどうあれ責任をもって決めれば良い。
フェアネスを大事にしたいのであれば、ハイブリッド会議での議論に基づいて即時に議決をしてはいけない。参加者全員に対等な環境を与えることはできないのだから、十分な意見表明の機会を非同期手段を含めて別途提供し、ある程度の小集団で議決案をまとめて完全オンラインで実施するか多数が参加するリアル会議で議決するのが適切だろう。
ただ、フェアネスを大事にすれば成果が得られるというわけではない。