ワーケーションを再定義したい

hagi に投稿

ワーケーションは和製英語でWikipediaによれば、

ワーケーション(英語:Workation)とは、「ワーク」(労働)と「バケーション」(休暇)を組み合わせた造語(かばん語)で、観光地やリゾート地でテレワーク(リモートワーク)を活用し、働きながら休暇をとる過ごし方。在宅勤務やレンタルオフィスでのテレワークとは区別される。働き方改革と新型コロナウイルス感染症の流行に伴う「新しい日常」の奨励の一環として位置づけられる。

とある。政治的な匂いが強い。もっと休暇を取らせなくちゃ、とか、観光産業を育成したい、とか、地方振興、とかが透けて見えて個人的にはあまり良い印象がない言葉である。一方、観光地やリゾート地で働く働き方は好ましいと思っている。自宅をオフィスの往復ばかりの生活はつまらない。それ以外にも、出身地が災害にあったような場合に復興に力を出しながら、今の仕事を続けたいと思うような人もいれば、類似の専門性を高めたい人の密度が高い場所(例えばGalvanize)で過ごしたいと思う人もいるだろう。一度限りの観光も良いが、毎年同じペンションを訪問するような人もいる。オーナーや同じ宿を利用する人たちとのコミュニケーションを楽しむような過ごし方もある。例えば、前オーナー時代に訪問したふふはり亭という宿には独特の雰囲気があった。別荘地もそういう側面があるのだろう。別荘は贅沢という印象があるが、都会の喧騒を離れて一ヶ月程度を軽井沢ですごすような生活はワーケーションと呼んでもよい。今はシェアビジネスが能力を高めてきていて、ワーケーションに手が届く人口は大きくなってきている。同時にリモートワークの壁が技術的にも認知的にも乗り越えやすくなっているのも追い風だ。イタリアのAlbergo Diffusoのような個々の宿にとどまらない街としての取り組みもあり、私の近隣でも興味深い取り組みがある。谷根千あたりのカウンターのあるバーに行くと、一見の観光客が一人できていて話が弾むときもあるし、中には毎年のように繰り返し来るという人もいる。直接的なビジネスに育つ可能性はゼロではないがほとんど無い。しかし、目を開かされる思いをしたことは少なからずある。

ワーケーションを生活者と経営者の視点で定義したら以下のような表現が好ましいのではないかと考えている。

ワーケーションとは、 オフィス通勤圏外に滞在しながら執務するサードワークプレースを活用した働き方であり、
①従来業務で必要な業務実績を達成しつつ、
②人が育ち、
③新たな事業が生まれる
ことを狙うものである

生活者としては、生きていくためには収入は必要。従来供出できていたビジネス的な付加価値を出せないといけないことになるが、個人の努力だけでは限界がある。組織と個人が協力し合えば、達成できる可能性がある。実際、コロナ禍でも業績を高めた企業はあるし、完全在宅でもその業績達成に十分な貢献ができた人は存在する。もちろん、場所に束縛される仕事はあるが、できるわけないと思われてきたことも、やる気にさえなれば意外とできるものだと気がついた人も多いだろう。また、複業も視野に入り始めているので、もう一つの収入源を確保して独立性を高めることも可能になってきている。例えば、今までの給料が2割下がったとしても、新しい働き方で2割分の収入が見込め、しかもその収入の伸びしろが大きそうであればリスクを取る人もいるだろう。

デジタル技術の進展で、私達は新しい生活モデルへの転換点にいるのだと思う。せっかくワーケーションという言葉の認知度が上がってきているので、本質を見極め、民・官で良い形に育てていけたら良いだろうと願っている。

※写真はふふはり亭のページから引用させていただいたもの。この空間の印象は私に強く残っている