トランプ氏のTwitterアカウント永続停止は技術の敗北だ

Twitterのメッセージを読むと、停止の理由は大統領就任式のテロを扇動すると見なせる内容だから永続停止に踏み切ったと読める。私は妥当な判断だと思うけれど、ある意味でTwitterが声の大きい人の発言権を制御できる社会の危うさも感じる。

Twitterがなかったら、あの暴動は起きなかったのだろうか。

飛びバッタは一定の数を超えると変態するが、人間も少人数が集まっただけで行動が変わる。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。大きな動きの一部と感じると結構簡単に倫理観は麻痺してしまう。刺激の与え方次第で凶暴化してしまう。影響力のある人が無理を通そうとすると、取り巻きは普段だったら絶対にやらないだろうことをできるようになってしまう(私は牧師の油断で砧教会の役員会はその罠に落ちたと思っている)。良い方向に機能するケースもあるが、破壊的に機能するケースもある(教会でクラスターが発生しないことを祈る)。

だから、Glorification of violence policyを設定するのは好ましく思える。デジタル時代はメッセージが届く範囲が大きくなり、速度も高まるので、首謀者であれ、追随者であれ、力の行使の誘惑に負けない訓練が必要なのだろう。もちろん、私自身が情報発信者だから私こそ深刻に考えなければいけない。

数少ない抑止力はFact checkだと思うのだが、事実確認には時間がかかるので、少なくとも人間がやっているようでは遅すぎてTwitterの世界では機能しない。過去のTweetの事実確認結果とフォロー数と連携させて投稿間隔を長くするような時間的な制御が必要なのかもしれない。もちろん、Twitter社の人たちは良く考えているだろうが、まだプログラム化が十分じゃないということだろう。

Twitterの発言権の制御は人間にやらせたくない。ルールの修正は人間が行うのが良いと思うが、ルールの適用に恣意的な判断が入らない程度の完成度を期待したい。