コミュニティの維持は微妙なバランスの上に成り立っている

コワーキングスペースの開放性と閉鎖性のバランスという記事を読んだ。南相馬市のコワーキングスペースで9ヶ月勤めているコミュニティマネージャーの記事だ。

コワーキングスペースに関わるようになって、早いもので8年目になる。自社を創業した頃の話だ。最初はコワーキングスペースとシェアオフィスの違いが分からず、機能と価格で自分の働く場所を探していた。しかし、数件回っている内にどうやら何かが違うと感じ始めた。結果として、現在契約しているパズル一番町の前身となるパズル芝浦で法人登記を行い創業した。その後、自分の働く場所としては、森ビルの「アカデミーヒルズ 平河町ライブラリー」を選んだ。年間30万円ほどだったが、その前に勤めていた上場企業で取締役に提供されていたワークプレースよりずっと快適だった。約3年半利用していたが、残念ながら閉館になってしまい他のアカデミーヒルズへの魅力が私には小さかったのでワークプレース難民になった。その当時の思いは「シェアワークプレースの動向」というプレゼンテーションで書いた。P9でワークプレースに対する2016年時点での要件を書いているが、今でもほとんど変わっていない。平河町ライブラリーでは交流機能に満足していなかったと書いてある。

繰り返しになるが、コワーキングスペースに関わるようになって、早いもので8年目になる。ユビキタスライフスタイルを標榜しているので、欧米のコワーキングスペースを中心に定期的に訪問している。たくさん印象的なスペースに出会ったが、特に印象に残っているのはストックホルムのコワーキングシーンである。2014年から6年連続でストックホルムを訪問していて、ドロップインのあるところを中心に会員制のところにもメール等で申し入れて10箇所以上は訪問した。繰り返し訪問したスペースもいくつかある。彼の地では概ね2017年頃にほぼ全てのコワーキングスペースが会員制になった。それ以外のスペースは廃業するか喫茶店に変わった。会員制のスペースはかなり閉鎖的(排他的)になったが、ビジネス的に成功しているように見えるところは少なくない。同様の傾向は欧州の各都市でも、アメリカの複数の州でも見受けられる。一方で、ビジネス的に成功しているように見えても、そこから新しいものが生まれてきている感じ、あるいは生まれてきそうな感じはあまり強くない。

引用記事では、そのあたりの雰囲気を「外の人からすれば、家ぐらいまでの閉鎖性は、居心地がいいとは言えないでしょう」、「対して、開放性、これはある程度の空気に「ハリ」を生んでくれます」とまとめている。秀逸だと思う。

良い意味での緊張感を維持するのは極めて難しい。5年程度経過してもそれを保っているスペースはいくつも思い当たるが、残念ながらビジネス的に大成功しているようには見えないのである。しかし、私はそういう空間を愛する。それは必ずしもコワーキングスペースである必要はないが、もしそのような(2016年要件を満たす)ワークプレースがあれば、私だけでなく、きっとサラリーパーソンを含む多くの人を喜ばせることになるだろうと思う。ただ、輝き続けるのは至難の業だと思う。そして、私は挑戦する人を尊敬する。

教会はワークプレースではないが、2016年要件とかなりの親和性がある。私は2,000年ほど前、パスポートに書いてあるような『日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 日本国外務大臣(公印)』という外交関係が存在していない時代に教会は旅人、あるいは国際商人のシェルターだったように考えている。渡り歩く一見の人を迎え入れ(ドロップイン/hot desk)、交流機能を持ち、経済力のある一種のパトロンが支援して育てるような存在だったのだろうと(美化し過ぎかも知れないが)思っている。

国内で、廃寺や無住職に見える神社が散見されるように、コミュニティをホストするスペースは存続は容易ではない。しかし、恐らく永遠に需要はなくならないだろうと思っている。

写真はラトビアのRIGAの大聖堂のオルガン。イベントは人を集めるきっかけとなる。近くに大きなマーケットがあり、人々の営みが身近に感じられる街だ。昨年の今頃に、私はその地のイベントで登壇していた。次は、いつ訪問できるのだろうか...