寂しがり屋のノマドとコワーキングスペース

先日CUASIAの報告会のパネルで、コワーキングスペースに行くノマドは寂しがり屋だという発言があった。

彼女の説では、寂しくないノマドも居て誰にも会わなくても全然平気なタイプの人もいるそうだ。しかし、私の知る限り、長期に渡って寂しさを感じない人はほとんどいない。

私は、今固定的なオフィスを持たずに働いているので、在宅もあるけれどある種ノマド的な働き方を行っている。つまらない事だが、ワークプレースでおはようございますと挨拶したり、仕事終わりにお先に失礼しますと言ったらお疲れさまでしたと答えが返って来るかどうかだけでモードが切り替わる。特に、誰かと話がしたいというわけではあまりないが、気分の切り替えがうまく機能しないと生産性が落ちる。私の場合は、モード切替のために何気ない話であっても会話のできる場所に足を運ぶ。コワーキングスペースやカウンターバー、カウンター喫茶はそういう場所の候補だ。オフィスワークをしていた頃は、基本的にはサードプレースは無くても困らなかったが、今の私にはそういう場所が必要だ。寂しがり屋である。

もちろん、集中作業をしている時には、邪魔が入らない方が良いのは言うまでもない。家で一人でいる時はかなり効率が良い。ディスプレイも大きくてノートで作業するより効率的だし、キーボードもマウスもノートより専用デバイスの方が具合が良い。コワーキングスペースでも固定席があって機器を準備しておけば、多少雑音があっても閉鎖環境でノートで集中作業をするより効率が良いケースは多いだろうと思う。

ノートPCが一台あれば、どこに行ったって仕事はできるは嘘ではないが、設備が整っている環境にはかなわないと思う。つまり、私の仕事だと、恐らくオフィスワークの単位時間当たりの生産性はノマドワークのそれを上回る。

では、なぜノマドワークを指向しようとするかと言えば、発見があるからだ。自分の知らない所に足を運び、知らない人と会う。自分に似た人にも会い、あまり接点が得られるチャンスの無い人にも会う。海外ではコワーキングスペースは最大の候補だ。運営者と意見交換するはいつも楽しみな事だし、同じ部屋にアサインされた人と合間に話すのも貴重な体験である。繰り返し会ってお互いに顔を覚えた後は、さらに新たな驚きが待っている事が多い。ただし、限界効用の法則ではないが、同じ人と会っているだけでは段々その驚きが減ってしまうのである。ノマドの醍醐味はやはり出会いだと思う。出会いは人ばかりではない、景色や、交通システム、街の雰囲気も驚きの種である。たくさん見れば、たくさんの知見が得られる。

ノマドの多くは寂しがり屋で継続的な驚き体験を求めているのではないかと思う。日本人感覚だとロールモデルは寅さんなのかも知れない。そのスタイルで生きて行くのは極めて難しいが魅力的だ。