テサロニキの坂道からの景色はちょっと尾道のようだった

今年は、Coworking Europe Conferenceに参加した機会にギリシャに立ち寄ることにした。新約聖書はなぜイエスが話したアラム語でなくギリシャ語で書かれることになったのかが気になったということもあるし、長い歴史のある地が深刻な経済危機に陥っていることは良く知られていて、今の欧州でそれがどういうことなのかを自分の目で見たかったという事もある。会議後翌週の予定の間の18年11月17日(土)から日月の3日間。初期のパウロの伝道旅行の対象地が現在のギリシャ北部であることから、まずテサロニキを訪問する事とした。初期の教会で現存しているものはない。

現在のテサロニキはギリシャ第二の都市である。都市圏で人口約100万人。世田谷区より一回り大きい程度である。市街地面積は世田谷区の約2倍。遺跡が点在し、港から割とすぐに坂になり、登っていくと城壁跡がある。登ったところから見ると、街が一望でき、もちろん日本の景色とは違うのだが、坂の街、尾道を想起させる美しさだった。

一方で、現実は厳しい。

まず、空港に降り立って街までのバスに乗るまでが一苦労である。英語表記が全然足りないのだ。ギリシャ語を大事にしているのだろうが、これほど空港から苦労する経験は欧州で経験したことが無い。そして、バスに乗って景色を見ていたり、途中から乗ってくる人を見ていて、失礼とは思いながら、ああ、貧乏な国だ、と思った。街は落書きだらけで、傷んだ建物は多い。特に印象に残ったのは、歩いている若者に勢いが感じられない点だ。

住人は落書きをもう諦めているように見える。消してももっとひどく書かれてしまうのだろう。ただ、落書きの汚さに閉口する割には、治安の悪さは全く感じなかった。観光客は多く、港の見えるカフェやアリストテレス広場のレストランは価格も高く観光客で一杯。一方で、地元風の人達で混んでいる店は価格も安価で設備も古い。

生鮮食料品は豊富にあるようで、マーケットには多分廃棄するほど、ものがたくさんある。経済的に苦しい状況でも縁故があれば生きて行くのは難しくないのではないかと思う。インフラの状況から想像するに不健康になった時は苦しそうに思う。月曜日にアテネで数人のギリシャの人と話す機会があったのだが、食べ物にあまり困らないから、政府より家族、血縁の方を大事にする傾向があるのだという。寒い国は、助け合わないと簡単に凍え死んだりするので、より公を大事にし、公の力で全体の水準を底上げする動きに好意的なのだという。ある親爺は、ギリシャの人はシチリアと民族的にも近いし親近感を覚えるといっていた。政府よりファミリーが幅を利かす世界という印象を持った。

これからの事は分からないが、経済的混迷からの出口は容易に見つからないように感じた。食えれば人はいなくはならないが、新しい事をやりたい人は自分が街を出ていくしかないように感じたのである。

テサロニキにもいくつかコワーキングスペースは存在する。シェアオフィス色を強く感じるスペースが土日も営業していると書かれていたので、コンタクトをとっても返事が無いので不安を感じながらも行って見た。写真の階段を上がると奥に入り口があり、ちょっとしゃれた感じであったが、人影もなく扉も閉じている。空振りであった。

もう一軒は古い雑居ビルの上の方の階。日曜日なので開いてはいなかったが、アングラ臭が漂う感じ。ひょっとしたら、こういう所からすごいものが出てくる可能性もあるかもしれないが、私の印象としてはテサロニキはコワーキングを楽しむ街とは感じられなかった。

たった2日間の滞在で見える景色は限定的で表面的なものだと思うけれど、何というか、挑戦者のエネルギー密度が臨界点に達していないような気がしたのだった。どうも、街に新しい挑戦を歓迎するような雰囲気が感じられなかったのである。

約2000年前、パウロの目にはこの地はどういう風に見えていたのだろうか。恐らく、人を惹きつけてやまない豊かな街だったのだろう。富、あるいは人の活力が集まる場所は技術など様々な環境変化で移っていく。場所から見れば、どう時代変化に対応するかが課題になり、生活者から見れば、自分が昨日と明日でどう変化させるか、あるいは移住するかが課題になる。

私は、初期のキリスト教会は、国を越えたコミュニティを構成していたと想像している。パウロは今の時代でいうデジタルノマドに近いカリスマで、教会はコワーキングスペースだ。新しいチャンスを求める若者は、パウロが開拓した教会から査証をもらって異邦の地に赴く事ができ、そこで協力を得て、地域差に基づいた新しい商売ができるようになっていったのではないかと思っている。そして、その商売は地元の教会員に引き継がれていき街の繁栄にもつながって行ったのだろうと想像している。

恐らく、現在のテサロニキは変化に対して閉じた状態にあり、多様性を許容する力に乏しいように見える。再び、開く時が来るかもしれないし、来ないかもしれない。食料が豊富な地であれば、流れが変わる時は、大きく変わるのではないかと想像する。