2021/05/05 12:37

萩原高行さま

 

 お便りありがとうございます。

 

 私の文章を誤解しておられるように見えます。

「みなす」という言葉は総会決議を前にした教会員の態度です。総会決議を取り扱う場合の当然のことを書いたのです。したがって萩原さんが1で掲げた命題を前提しています。

 2についても誤解があります。萩原さんの理解は牧師と役員会の意思が常に運優先するという理解になってしまい、牧師の独裁になるという結論のようです。それなら総会など不要になかねません。しかし、牧師や役員会の意思が時と場合により優先されて教会の運営がなされることかありうる、ということです。

 要するに、何度も申し上げていますが、総会は議決機関としてあり、牧師役員会は執行機関、議会と行政機関の両方の権威が並存するというのが、私の理解です。

 それゆえ萩原さんの2と3はそのことを反映していると私はみていますので、考えを共有していると申しました。

 牧師・役員会支配か総会支配かではなく、どちらも教会活動に責任を負っているのです。

 私の文章を解釈するのはよいですが、私としては前回のメールでの簡潔なまとめをこれ以上修正することはできません。単純にこれと萩原さんの総会理解とその扱いをまとめた文章とを並べるだけで十分と思いますので、これら二人のまとめとこれまでの議論を合わせて(要するに、メールのやり取り)役員会並びに教会員に読んで頂き、この間のことについて理解の共有を求めたいと考えます。そうすることで先に進めるのではないでしょうか。

 

金井美彦

前の書簡
次の書簡: 2021/05/06 10:00