新生活317週目 - 「皇帝への税金」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第29主日(2026/10/18 マタイ22章15-21節)」。3年前の記事がある。マルコ伝12章、ルカ伝20章に並行個所がある。多少の差異はあるが、違和感を感じるほどの差異はない。WikipediaにはRender unto Caesarという記事がある。

福音朗読 マタイ22・15-21

 15〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」


「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」は、イエスの受け答えの凄さを感じさせるシーンだ。福音のヒント(6)の「しかし「神のものは神に」と付け加えることによって、イエスがもっと根本的なことに人々の目を向けさせている」に共感する。

イエスは人生訓的に言えば、余計なことを多く為した人だ。わざわざ安息日に治癒奇跡を行ったり、品行方正とも言えない側面もある。何より異質なのは、強いリーダーではないというところにある。戦って勝って地位を得ていくという常識の外にいる。

ファリサイ派もヘロデ派も常識的な集団で、有力者を中心に組織が形成されている。捨象すれば、どう勝ち馬に乗るかの競争が繰り広げられている。ファリサイ派もヘロデ派も一定の権力を得ていて、お互いの長所、短所も理解していただろう。今の日本になぞらえれば、ヘロデ派はアメリカ追従型、ファリサイ派は民族主義的な集団となるだろう。自民党の中にも両者の駆け引きはある。現実的にはヘロデ派的な追従なしに経済も安全保障も保つことはできないだろうし、ファリサイ派的な自民族の誇り、純粋なユダヤ人を指向するような側面がないと民衆の支持は得られない。お互いに違いを強調し、権力争いを行うが、権力指向という軸で見れば同じようなものだ。

イエスは、その常識の世界に生きていないが、納税を避けることはできなかっただろう。ファリサイ派の人びとも形の上ではともかく、何らかの方法でローマに貢がないわけにはいかなったはずだ。ヘロデ派も享受していたのは奴隷の自由に過ぎない。

イエスは、一朝一夕に現実が変えられないことを十分理解しているが、神の義を求め続けよと説く。強烈なのは、派に従うことではなく自分の良心に従えという点で、自由に生きよという点だ。イエス自身、旧来のルールより良識と愛を重んじた。ファリサイ派もヘロデ派もイエスを取り込むことはできそうにないことを分かっていたし、イエスの考え方が広がれば権力の維持が難しくなる。民主主義国であれば、無党派層が3分の2を超えるような状態を招けば権力の実効性は低下してしまう。やっかいな状態である。イエスは無政府主義者に見え、両派のどちらからもやっかいな存在であった。

「神のものは神に」は勝手気ままで良いという意味ではない。神の目に耐える存在であれということで、イエスは律法を否定しているわけではない。律法の本質に従えと説いている。

権力集団はほぼ100%慢心で腐る。腐り始めに排他性が高まり、専制と隷従で統制する傾向が高まり、多数がそれになびくと集団自身がやがて破綻する。強大なローマも滅びたし、アメリカもやがて滅びかねない。長期で見れば、力の支配に持続性はない。

道や水道、エネルギーや食料品の確保は、安心・安全な社会の実現に欠かせない。個々人が頑張ってどうにかなるものではなく、公共投資は必要だから税金のような仕組みは欠かせない。腐敗していない皇帝も必要だ。誰一人として取りこぼさない社会機構の実現が神の義と考えて良いだろう。

必要な税金は納め、真摯に神の義を求めるのが良い。

教会は、自分勝手ではない自由を追求する自発的な思いを引き出すことができるのが望ましいと思う。まず真実を求め、神の義の実現に資する知の集積のために投資する必要があるだろう。神学も科学も必要だが、愛を形にしていく具体的な活動も必要なのだろう。

※画像はWikipedia経由John Singleton Copley: The Tribute Money。「皇帝のものは皇帝に」も軽視してはいけないと思う。そして、皇帝=権力が道を誤ることがないための努力は「神のものは神に」の具体的な形と言える。この絵の両方を同時にイメージさせる感じは悪くない。