安倍元首相が語らなかった本当のこと

安倍元首相が語らなかった本当のこと 読了。谷内正太郎の日経の私の履歴書を読んで、この書籍を読もうと決断した。具体的には第20回 谷内覚書で「その場で安倍総理にやっていただきたいことを2枚ほどのメモにして直接手渡した。このメモを「谷内正太郎覚書」と呼ぶ人もいる」と書かれていて、この書籍の公式ページには「安倍政権中枢の極秘メモ「谷内正太郎 覚書」の全貌を、初代国家安全保障局長だった谷内正太郎氏が初めて明かした」と書かれていた点にある。

谷内覚書自身は明らかにされてはいないが、(注:対談を基に編集部で再現)が掲載されていた。

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大目標はまず「憲法の改正」「双務的で対等な日米安保体制の構築」である。

安倍は「みっともない憲法、はっきり言って」安倍・自民総裁と取り上げられているが、彼の解釈では「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」について「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではない。いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。」と主張したようだ。憲法に従えば自分たち日本人が専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているわけではないと言い切っているが、それは自分が考える「専制や隷従、圧迫と偏狭」が世界の規範になるべきだという選民思想の表明にほかならない。

大目標の2番目に「双務的で対等な日米安保体制の構築」が到達できなければ「憲法の改正」を経て実現する覇権国日本は構築不可能だという表明と考えて良いだろう。

安倍も谷内も政治的には現実主義(Wikipediaでは「世界政治を中央集権的権威が欠如した無政府的グローバルシステム内で権力と地位を求めて競争する自己利益を追求する国家間の永続的な競争として捉える理論的枠組みである」)で、その思想から見れば、現行憲法は邪魔でしょうがない。敗戦したから、しょうがなく現行憲法が成立したが、そんなものはさっさと葬りたいと考えるのは自然だ。簡単に言えば、力が全てだという考え方である。私は全く賛同できない。そんな思想をもった人に権力を任せれば遅かれ早かれ侵略戦争を始めて破綻していく。現在のトランプもそうだ。アメリカが国家として崩壊してしまうのを見たくはないが、栄光を取り戻すというメッセージほど国を腐敗させる主張は類を見ない。ただ、安倍は現実主義をベースとしているが、同時に主義との関係の薄い現実的な行動ができる能力がある。そして、谷内は現実的な現実主義政策の文書化能力が比類なく高いのだろう。現実主義を追求すれば、「双務的で対等な日米安保体制の構築」は対米従属からの自立であり、その向こうに米国を対日従属させることを目指すことになる。習近平の中国が日本の軍国化の脅威を強調しているのは、高市が現実主義であるだけでなく現実的でないからだ。

第20回 谷内覚書には、「安倍総理の本来の政治目標は憲法改正だが、保守の純化路線を突き進むと達成できない。柔軟性が必要であり、「ウイングを左に広げることを心がけてください」と話した。」と書かれている。現実的だ。現実主義に追い風が吹いても決して国際協調によって平和を構築しようとする理想主義者がいなくなるわけではない。ウイングを左に広げることを心がければ、多少の弾圧があってもクーデター的な状態には至らない。沢山のデモがあっても、政治テロの頻発化までは招かなかった。恐らく安倍暗殺も私怨で政治テロではない。現実的が強すぎるのは安倍の欠点でもある。統一教会への信仰があったとはとても思えず利用可能な力だと思っていたとしか思えない。ただ、力を借りれば、多かれ少なかれ副作用が生じる。本書の第一章の谷内正太郎✕手嶋龍一の対談を読んでいると安倍の現実的な面がクリミア侵攻への対応などで垣間見える。プーチンは現実主義に寄っているから、力によって解決できないならうまいこと恩を売って、あわよくば北方領土を返してもらおうという姿勢が見える。力の世界は貸し借りの世界でもある。

読みたかったのは「「谷内正太郎 覚書」の全貌」の部分だけだったのだが、それ以降の部分も面白かった。佐々木雄一が「東京都議選衆議院選挙がおこなわれた2017年の政治情勢に関して、「民主党政権はダメだったよね、というムードは、私がさんざん発信した影響もあって社会に定着していました」 と述べている」と書いてから、分析を進めているところが興味深かった。安倍が保守原理主義ではなく現実主義に見えてくる。表現としては、「保守の看板を掲げた安倍政権」となる。ウイングを左に広げながら中央を右に寄せていったことがわかる。前後するが石破は「私は小泉内閣で防衛庁長官になった時には「軍事オタクの極右」といわれました。それが今や「軍事オタクの極左」ですよ。私の言っていることは何も変わらないのに。」と書いている。安倍政権は「悪夢のような民主党政権」といった洗脳的なメッセージを繰り返し発することで価値観の目盛りを動かしていったことが良く分かる。

第4章の元財務官僚、厚労官僚の話も興味深かった。官僚は多少のブレはあっても基本的に事実と法制に基づいて行動している。法制が気に入らなければ官僚から政治家に転向して立法活動に従事する選択肢もある。行政を変えたければ法を変えるしか無いというのが基本で、その利点も欠点も分かっている。しかし、現実主義者は通るなら無理は通せば良いと考えているから、しばしば長年かけて作り上げてきたシステムを破壊してしまう。最悪のケースが閣議決定のゴリ押しと言えよう。有名な「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」発言についても触れられている。まあ、口が滑ったのだろうが、本当にそんなことよりもっと大事なことがあるだろうと思っていたのではないかと思う。

最後の部分で御厨貴が「安倍さんの政治手法は、敵と味方を峻別し、対決姿勢を鮮明に打ち出すことから「分断の政治」と呼ばれてきました。それが意図されたものであったことが本人の口から語られることで、 分断が事実として歴史に刻まれたとも言えます。安倍政治の再構成を、安倍さん本人がこの本で成し遂げてしまったと言えるでしょう。」とまとめているのも興味深かった。「それが意図されたものであったことが本人の口から語られること」は重い。安倍は基本的には正直で誠実に生きた人だろう。現実的だから、その場その場で、現実的に機能する手段を取る傾向が強いから、この位のことは本質に照らせばどうでも良いことと思えば嘘も方便となる。同時に、それは本人を追い詰めることにもなる。後は考え方の違いだ。嘘はバレたら認めて謝罪すればよいのだが、力の信奉者は誤ったら終わり病にかかってしまう。権力が大きくなればなるほど無謬性を守らなければいけなくなる。やがてプーチンやトランプのように無理を主張するようになってしまう。

P17の谷内覚書に戻ると、中目標が「集団的自衛権に関する憲法解釈の変更」、「海洋国家のネットワークの構築」、「新たな成長戦略とエネルギー戦略(原発等)」、「TPP」となっているのがその順序を含めて目標設定が興味深い。私の視点だとTPPとエネルギー戦略は力をいれなければならない項目で、なぜ安倍が国際協調によって平和を構築しようとする理想主義的TPPを推進したのかは正直に言って謎だし、右派からの評判が良かったとは思えない。力に頼るトランプがTPPを嫌ったのは自然で、いくら「ウイングを左に広げることを心がけてください」という言葉を受け入れたとしてもなお不思議に思う。また、「靖国神社参拝問題」ほか7つの小目標は一つも解決できていない。安倍にとっては小目標は目標に異議はなくても大きなリソースを投入するべき問題と考えていなかったのかも知れない。

本書を読むと、深さ浅さはともかく現実主義に立つ人が力を出すことで、課題解決が進むことがわかる。一方で、大臣級以上の判断に責任をもつポジションに力の信奉者をつけてはいけないことも見えてくる。分断の政治は一件効率的に見えて、リソース(市民)の本来有する力を引き出すことができない(絞り出させることができても人が育たなくなる)。

本書に書かれている谷内正太郎氏の設定するような理想より現実に重きを置く目標には全く賛同できないが、現実に対応する能力がなければ自由を失うリスクがあるのも事実だ。現行憲法前文のような理想は取り下げてはいけないが、現実主義者との折り合いをつけられなければ未来をより良いものにすることは困難だろうと思わされた。昨今新たな芽吹きが感じられる民主社会主義が勢いを持つ時に、それが分断の政治の結果であれば良い未来に至ることはできないだろう。右によってしまった価値観の目盛りを、どう「「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」という価値観に扇動的でない方法で寄せていくことができるかが問題なのだろう。

読後振り返ると、谷内氏のような簡潔な文書化力の助けを借りることができなかったら安倍政権はあれほどの国際的影響力を持てなかったのではないかと感じた。悪夢のような自民党政権が再び倒れたとしても、国家安全保障局は長期に渡って必要になるだろう。現実主義に基づいて力に頼る内外の勢力がいなくなることは期待できないからだ。

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