福祉資本主義の三つの世界読了。最初の「日本語版への序文」を読んだところで真剣スイッチが入った。もともとは1990年出版のThe three worlds of welfare capitalismという本だが、日本語版が出されたのは2001年、日本語版への序文は1994年以降に書かれたもので、原本に対する意見を目にした上で、日本の制度に言及している。中でも痺れたのは「逆説的ではあるが、ポスト工業化秩序の下での家族主義的福祉国家が家族形成を不可能にしているのである」という主張である。2001年と今では四半世紀の隔たりがあるが、この主張はほぼ予言に近い。家族主義的福祉国家という言葉は「家長性あるいは男尊女卑から脱しきれない」福祉国家と言い換えて良いだろう。皇室典範の改正や国旗損壊罪と言った昨今の動きは積極的に男尊女卑的家長性への回帰を目指すもので、正に亡国施策と言えよう。天皇家の持続性だけでなく、国家の持続性を破壊する行為と言える。神話的ではなく科学的に現実を見なければ明るい未来など期待し得ない。
The three worlds of welfare capitalismの訳に「福祉資本主義の三つの世界」を充てるのは自然だが、本書を読んで感じるのは、「福祉資金拠出制度の3つの類型」という意味だと感じた。「第1部 三つの福祉国家レジーム」レジームにどういう訳語を充てるべきかは難しいが、3つのレジームを「最低限の(自由主義的)社会保障制度」、「保守主義的(コーポラティズム的)社会保障制度」、「社会民主主義的社会保障制度」としていて、第1にアメリカ、第2にフランス、ドイツ、第3に北欧諸国を属させている。同時に、3つの制度を純粋に提供する政治体制(レジーム)が存在するわけではないことにも触れている。日本でそれらの制度の雰囲気を理解しようとすれば、第1が国民年金、第2が厚生年金といった感じで、国民年金だけでは生きていくのが難しく、厚生年金は支給格差は大きくなる。日本の健康保険の「最低限の社会保障」のレベルはとても高いが、負担も大きい。社会民主主義的制度は、結果の格差の最小化を目指すものとなる。最低限のレベルが低ければ、誰かがその穴を埋めなければいけないわけで、どこでもそれは家族が担う。担いきれなければ姥捨山が待つことになるし、世帯を社会保障の単位とすれば、死者の年金受給の不正取得のような問題も起きる。 第3号の問題もある。支給を世帯でなく個人に向け、税金からの拠出を増やせば、社会民主主義的な制度に寄ることになる。アメリカの健康保険制度は貧弱で、企業が保険契約を結びサービスを提供するが、それはその分給与が下がることと同じ。ただし、個人で保険に加入するよりは契約規模が大きくなるので好条件になる。どのような制度であっても、個人向けの保険商品は機能する。自助(+家レベル共助)が期待できなくなれば保険でリスクヘッジを行うしかなくなるだろう。第1部は各国家の制度の変遷と比較を通じて、福祉そのものというより政治体制との関係について分析されている。民主主義体制だと、制度負けしていると考えている有権者が増えれば政権はもたないから、いやいやながら福祉が大きくなっていく姿が明らかになる。
「第2部 雇用構造における福祉国家」では雇用の話に触れる。長期的には、民主主義政体は社会民主主義に向かわざるを得ない。完全雇用が実現されていれば「最低限の社会保障制度」≒「社会民主主義的社会保障制度」となる。インパクトが大きいのは女性の自立で世帯指向が個人指向に移行していくことによる変化だ。スウェーデンは福祉サービスを職業として成り立つように制度を作り高税率でそれが持続できるようにすることで「社会民主主義的社会保障制度」を実現した。しかし、ポスト工業化時代には、完全雇用を目指すのは困難だし、より少人数でより高い付加価値を生み出せるようになれば、「保守主義的(コーポラティズム的)社会保障制度」が優勢になる。振り返れば工業化時代にも同じ事が起きていて、厚生年金的な制度は企業が生産力としての従業員を確保するためのツールとして使われてきた。企業を大きな家のような存在にしてインサイダーであり続けることを強要したとも言えることも明らかになる。第2部ではその構造と変化について主にドイツ、スウェーデン、アメリカでのベンチマークを利用して分析している。ジャンクジョブやマイノリティ上級職の話にも触れていて、どの制度適用が適当というような話ではないことがわかる。国家のおかれている状況はそれぞれに違うし、過去の歴史(あるいは負債)を無視して制度を変えていくことはできない。持続的な制度を確立できるどうかで国民の将来も政治体制の将来も変わる。「日本語版への序文」でも触れられているが、日本は統計的には完全雇用が維持できているように見えるが、給与格差は大きくなりつつあり、従来の構造を今後も維持できる可能性はほぼない。「逆説的ではあるが、ポスト工業化秩序の下での家族主義的福祉国家が家族形成を不可能にしているのである」は慧眼で、親の代の蓄積が尽きると、個人主義に向かわざるを得ない。もう自助、共助、公助と言い続けることはできなくなる。世界中で中道政党が弱体化しているのは、ポスト工業化時代への適応が上手くできないことに対する不満が破壊的に機能しているということだろう。
「第3部 結 論」は約10ページの「第9章 ポスト工業化構造の下における福祉国家レジーム」一章だけで、今後についての仮説が提示されている。原著が書かれてから36年が経過しているので、その仮説の検証がある程度可能な時期を迎えているわけだが、概ね正鵠を射ていたと評価することができると思う。それはすごいことだ。
「訳者解説」は参考になる。原著が出て何年か経てから訳書の製作が始まると、当然原著に対する批判や称賛の声などが存在している状況で進めることになる。それが訳の質を上げることになるし、原著の欠点あるいは不完全性を知った上で原著のままの訳出が求められることになる。訳者解説の尺では言い切れないことがたくさんあったと思われるが、著者が日本を自由主義と保守主義の中間に位置づけているようだという解釈をはじめ自分の理解を進める上で参考になることは少なくなかった。
本書は一橋大学大学院社会学研究科の田中拓道が社会科学の基礎を学ぶための50冊で採択されている。