先日デジタル庁はデジタル社会の実現に向けた重点計画をWeb上に発信した。資料の重点施策一覧を見ると
4-6 OSS 利活用を通じた政府システムの自律性や経済性の向上
【取組概要】
民間領域では世界的に、OSS(オープン・ソース・ソフトウェア)を活用した AI モデル開発が進み、公共領域でも国連などを中心に「デジタル公共財」として行政分野のソフトウェアを国家間で共有・活用する動きが進展するなど、OSS 活用は世界的な潮流となっており、現状、市場の9割以上のソフトウェアにオープンソースが含まれている。このような動向を踏まえ、国においても、標準として展開すべきソフトウェアを OSS として公開(アウトバウンド)し、ほかの行政機関、地方公共団体及び民間事業者が広く活用できる環境を整備することで、社会全体におけるソフトウェア開発コストの低減及びイノベーションの促進を図る。あわせて、デジタル庁や他政府機関におけるシステム開発において、市場の OSS を、そのセキュリティリスク(未知の脆弱性の存在や、悪意あるプログラムを実行させるコードの埋め込み等)を適切に管理しながら、積極的に活用(インバウンド)することで、開発の効率化、最新技術の迅速な導入、及びベンダーロックインの回避による自律性の確保を推進する。まずはデジタル庁において、OSS の利活用及び公開に関する統一的なガバナンスを確立するとともに、外部 OSS コミュニティとの連携・協働を担う中核組織として、OSPO(オープンソース・プログラム・オフィス)を政府で初めて令和8年度早期に設置する。
【目標と取組期限】
令和8年度:デジタル庁における OSPO の設置
【主担当府省庁】デジタル庁 【関係府省庁】―
と書かれている。OSPOの話も重要だが、デジタル庁の文書に「公共領域でも国連などを中心に「デジタル公共財」として行政分野のソフトウェアを国家間で共有・活用する動きが進展するなど、OSS 活用は世界的な潮流」と書かれたことにちょっと感動している。
現実問題として、もしGoogleのサービスが止まってしまったら、私の日常は成り立たなくなる。言い換えれば、明日から無料サービスを有料にしますとか、有料サービスの値段を10倍にしますと言われても容易に脱Googleすることはできない。払えなければ諦めるしか無い。企業や政府、特に政府に関わる人々は脱Googleしたら情報収集は困難を極め、政策判断、経営判断に多大な影響を与えるだろう。だから、特定の企業や国に支配されることのない、デジタル公共財を育てていくことはとても重要だと考えている。
もちろん、民間企業の競争は夢のような変化をもたらす力がある。例えば40年ほど前のインターネットの民間解放の恩恵はプライスレスと言える。あの時も、大きな投資が起きて、技術革新、応用技術開発・商用化が加速した。それはそれは素晴らしいものだったと思う。無論、生き残った企業は巨大化しているものの、とても多くの企業が破綻して消えていった。破綻した企業の技術を採用していた企業も少なからず破綻した。私の知り合いにも浮き沈みの渦中にあった人は複数いる。輝いて見えた人が不正に手を染めていたことを知ったこともある。金の力は怖い。
しかし、インターネットの諸規格は公共財として残った。ISOと異なり、事実上お金を払わなくても、その情報にアクセスできるようになった。一方で、その脆弱性が悪用され、懸命に改定され今も実用されている。その教訓はいくら(デジタル)公共財をうまく作れて、無償利用できるようになったとしても、その公共財を維持するにはコストがかかるという考えてみれば当たり前の現実で、どうやってそのコストを社会的に負担するかが問題となる。
デジタル庁が書いた「社会全体におけるソフトウェア開発コストの低減及びイノベーションの促進」はできたとしても、「市場の OSS を、そのセキュリティリスク(未知の脆弱性の存在や、悪意あるプログラムを実行させるコードの埋め込み等)を適切に管理」するためのコストは誰かが負担しなければならないので簡単なことではない。
先日のDrupalCamp Tokyo 2026のセッションで参加者に聞いた時は、Drupalイベントは企業負担で参加者無料とするより、ある程度自分で負担する形のほうが好ましいという意見が多かった。一方で、そのイベントの準備委員会のメンバーの中で、Drupalの原則有料の個人会員プログラムRipple Makersに参加している人は一人しかいない。恐らく単に知らないだけだった人が多数なのだろうが、知っていても個人で金銭的な貢献は避けたいと思っている人も中にはいるかも知れない。
公共財の代表格は公園だろう。適切に管理された心地の良い空間を誰が使っても良い状態を実現したのが公園で、入場料を払う必要もない。公立図書館も公共財の優れた一例だと思うが、その自治体に納税していない人は利用できないのが普通だろう。言い換えれば、コストを負担していない人には使わせないということで、その合理性は認めるが、その図書館は真の公共財と言えるかどうかについては疑問符がつく。
ニューヨークのメトロポリタン美術館は日本人から見るとそれなりに高額な入場料を取るが、よく見ると、無料で入れる道も残している。公共財は、経済的に持続可能でなければならないが、公共財として無料で解放されていることも維持できなければいけないのだ。まあ、無理ゲーと言って良いだろう。
税金で強制的に金を集めて維持費を賄うという道もある。公共財の維持にコストがかかることを理解して、浄財を供する人が増えれば賄えるという考え方もある。新自由主義あるいは嘘をついても権力を取れば勝ちと考えるトランプ・高市的極右の対極にあるが、浄財提供者が社会システムの持続性を守れるような未来を迎えるために力を出したい。
強さを求めると破綻を招くことを心に留めなくてはいけない。