それでも日本人は「戦争」を選んだ 読了。栄光学園の生徒を相手にした5日間の集中講義の内容を書籍にしたもので読みやすいが驚かされたことは多かった。例えば、文化人の代表の一人である福沢諭吉が植民地獲得に前向きだったのは意外だった。
「はじめに」で序章で「911テロ後のアメリカと日中戦争期の日本に共通する対外認識とはなにか」、「膨大な戦死傷者を出した戦争の後に国歌が新たに社会契約を必要とするのはなぜか」、「太平洋戦争の結果書きかえられた日本の基本原理とはなんだったのか」を論点に設定したと書いている。短く答えれば、「ならず者の征伐」、「国家契約の破綻」、「国体(から主権在民へ)」となる。私の直感では現在のならず者筆頭はトランプだ。プーチンやネタニヤフを抑えてダントツなならず者感がある。しかし、ならず者をならず者たらしめるのは強大な力があることにあり、征伐は容易ではない。そして、ならず者を征伐しようとするものは正義は我にありと考えて相手を侮ってしまうのである。
安倍がやった安保法制の解釈改憲は、悪者と正義の味方を2分し「ならず者は征伐すべし」という扇動で力に頼る正義を訴え、自己の権力の極大化をはかるものだ。本人はよかれと思って進めているのだろうが、歴史に学べば敗戦への入口をこじ開けたことにほかならない。本書を読むと、冷静に考えればあの大量死の再現であることがわかるから、安倍菅は加藤陽子を学術会議から外したのだろう。
本書は決して左派礼賛あるいは誘導の本ではない。書簡を含めて事実に基づく考察が丁寧に引用されていて、扇動とは対極にあるものである。もし開戦しなければジリ貧で日本が植民地化されると奏上した話にも触れられている。博打を打てという声だ。現代であればアベノミクスと同じである。当時の日本でも、アジアの独立というビジョンのもとに弱いものいじめをしているのではないかと考える人は少なくなかったことがわかっていて、それが明らかに強い相手である日米開戦とその勝利によってやはり弱いものいじめではなく大義のある活動の一環で中国を一時的に屈服させただけだと考えたかった民の感情を扇動している。歴史の実態をみれば、アジアの独立という美談のもとに弱いものいじめをしていたのが現実で、一部心底から共に発展しようとしていた人が無事の帰国に貢献できた史実にも触れている。民草は日々の現実が目に入るが、権力者はその声を聞けば弱くなってしまう。分断に頼らずにはいられないのだ。
また、本書で興味深いのは、日本でも、中国でも、他の国でも、冷静に長期で見て有利な施策を検討できる人がいたことにも触れている。高校生に忍耐の重要性について気がついてもらえるのは素晴らしいことだ。
解説は橋本治だ。彼は、膨大なディテールを誠実にまとめることはほぼ不可能だと表明していて、本書を「その困難を最も誠実な形で乗り切った本だと思います」と書いている。遠く及ばないものであることを自覚しつつ共感する。
「おわりに」の最後は「2009年6月 公文書管理法成立の報を聞きながら 加藤陽子」で締めくくられている。
中高生にとっても中高年にとっても、推薦されて然るべき書籍だと思う。