田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第六巻 公同書簡/ヘブライ書 読了。表題でヘブライ書を合同書簡と別に記している。新共同訳ではヘブライ人への手紙という書物になっておりWikipediaでは「新約聖書の正典確認後、今日に至るまでパウロを著者とする書簡群と公同書簡の間に置かれている」と書かれている。しかし、田川はヘブライ書は書簡ではないと書いている。
この書籍は、ヤコブの手紙からユダの手紙までの合同書簡とヘブライ書が含まれているが、共同訳ではヘブライ書が先に出てきて、その後に合同書簡を置いている。田川はヘブライ書は書簡でなくいわば小論文のようなものということで書簡と別扱いしているということだ。
ヤコブの手紙の訳、註と解説での言及がとても興味深い。解説でヤコブ書は反パウロが基軸であることが書かれている。私を含む読み手は価値観が相反する書簡が正典として収録されると想像するのは難しく、これまでそういう視点でヤコブ書を読んでいなかったのでとても新鮮だった。
一ヨハから三ヨハまでの書簡は、ヨハネ福音書の教会的編集者のような執筆者の作で読む価値なしといった感じで切り捨てられている。実際、合同書簡に心揺さぶられた体験はない。
田川の解説を読んで、ヘブライ書を読み直すと確かに論文的な匂いがする。特に強烈なのは、3:1の使徒(Ἀπόστολον (Apostolon))という言葉が単数形で用いられていて、イエスのことを(唯一単数形の)使徒と書いている点だ。使徒と言えば、イエスに任命された12使徒(複数形)を想起するし、パウロが自らを使徒と呼ぶことも思い起こされる。しかし、ヘブライ書の著者は、イエスは唯一の神の使徒であると書いている。ヘブライ書で言及されているイエスになぞらえたアビメレクは異邦人(非ユダヤ人)であるのも興味深い。田川はこういう文書がその時期に書かれたことと、それが正典に収録されていることを称賛している。とても興味深い言及だと思う。
この書籍を読み終わったら、あとは黙示録を残すのみ。楽しみに思う。