強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考

強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考読了。内容紹介には「強いビジネスパーソンを目指して鬱になり考えた、「資本主義のしんどさ」から自分を守って生きる法。これは僕だけの話じゃない。」とあるが、自分を守って生きる法というよりは、一歩引いた視点で現実を見つめ直してみたという感じ。特に現役ビジネスパーソンに一読をおすすめしたい。時期によっては全く頭に入ってこないかも知れないが、目を通しておけば恐らく読んでおいて良かったと感じる日が来るだろう。来なければ来なかったで幸せなことかも知れないが、それでも読んでおいたほうが良いと思う。

「なんじらの勤勉は逃避である。自己を忘却しようとする意志である(フリードリヒ・ニーチェ)」を引用するなど、著者の博識さが際立つ。とてもうつ病を患った人の書籍とは思えないパワーがある。

「なんじらの勤勉は逃避である。自己を忘却しようとする意志である」は、少なくとも若い日の私には正しい指摘だと思う。自分の可能な限り勤勉であろうとしたし、他の人がまだ手につけていないこととか、競争相手が少なそうな分野を探して猛烈に走っていた。その甲斐あってか、いくつもの機会を得て、一定の成果を残すことができた。決して、身体的にも精神的にも強靭ではない自覚はあるが、運よく深刻なうつ病にはならなかった。しかし、私自身もスレスレだったし、周囲には少なくない数の傷病者がいた。本当の理由はわからないとは言え、自ら命を断った人もいるし、飛び込もうと思ったがその瞬間に子供の顔が浮かんで踏みとどまったと告白した同僚もいた。私は、正に強いビジネスパーソンを目指していたので、自分を追い詰めていたし、周囲の人を追い詰めていた。今も追い詰め続けているのかも知れない。自己分析としては、私の場合は、物理的な健康・体力が平均を下回っていることが幸いしたのだと思っている。発熱したりして、一時的に働けなることが救いになったのだと思っている。

ニーチェの引用の直前に「カルヴァン派の人々は極めて勤勉に働いた。「これだけ努力している自分は、きっと救われる側の人間のはずだ」という安心感を得るために。」という記述がある。この感覚は「君たちは世の中を良くするために生まれてきた」という言葉を聞いて以来、ずっと抱いてきた思いの言語化にほかならない。今もこの呪縛から離れられていないから、まだ「弱さ」を理解できないということなのだと頭では分かっている。

『日本の「努力はいいことだ信仰」はいつから始まったか』などで、(勤勉は逃避に対して)様々な検証が加えられている。個々には賛同できないものもあるが、大きな流れに間違いは無いだろう。「能力は虚構なのだ」という引用にも賛否はある。私は、自分が能力者だと思いたかったが、ビジネス的な能力一つを秤にとってもとても上位1割に入れるとは思えない。それでも、能力は虚構だとは思えない。ただ、能力主義と成果主義が異なることは意識すべきだろう。能力に恵まれる人が短期的な成果主義に走れば社会は壊れてしまう。それが現代の日本、あるいは西側諸国が(新自由主義的な脅迫によって)生きづらくなっている理由なのだろうと思っている。そして、能力者にはワットの事例のように幻影が投影されてしまうし、それを悪用する(ヒトラーや安倍・高市のような)扇動家の台頭を許す。「強いビジネスパーソンを目指す」のが幸せの秘訣という常識がはびこれば人の思考力を奪う。言い換えれば「時間泥棒」の跋扈を許すことになる。

P146 に「これほど強さが求められる世界に自分はいたのか!」と書いたことが書かれている。気づきは系から(仮に瞬時であったとしても)逸脱した時に訪れるものだ。それが「やりたいことがある人はえらい、って空気やめてもらいます?」につながるのも自然だ。私は、かつて評価面談でやりたいことを聞き続けていた。実はそれはトランプ的な取引と同等で、やりたいことを認めたらその代わりにやってほしいことも認めてくれるよねという話なのだ。真に傲慢である。

『間違ったことを信じるほうが幸せでいられる』は「残酷な楽観性」に通底するもので、人間の弱さが避けられない性質であることに言及している。それ以降はちょっとノウハウ的な色が濃くなるのがちょっと残念だったが、1日で一気に読み切った後の読後感は良好だった。

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