今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第32主日 (2026/11/8 マタイ25章1-13節)」。3年前の記事がある。並行箇所はない。WikipediaにはParable of the Ten Virginsという記事がある。
福音朗読 マタイ25・1-13
〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕1「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
ぱっと読むと、現実的な話だなと感じる。将来起きる可能性のあるリスクをきちんと考えておきなさい、という教えに読める。それ以上の解釈は不要な気がする。
一方、Wikipediaを読むと、様々な解釈がつけられていることがわかる。
福音のヒント(2)には、「「結婚」は神と人とが一つに結ばれる救いのイメージとして聖書にしばしば現れます。ここでも花婿の到着と婚宴は、世の終わりの救いの完成を表しています」と書かれていて、終末論的な視点での解説となっている。私もそういう解釈はありだと思うが、何となく上から目線の説教臭さが感じられて、抵抗感がある。
福音のヒント(4)の「この油は「人に分けてあげることのできないもの」を意味している」という解釈も成り立つかも知れない。
もっと単純に「天の国は次のようにたとえられる」は、賢く備えるものを高く評価するシステムで動いているという表明で良いと思う。ただし、人間が賢さを正しく評価することは難しいので、努力する以外の道はないだろう。
※今週もTissotの絵(Brooklyn Museum - The Wise Virgins (Les vierges sages) - James Tissot)を引いた。