砧教会再訪 260607

今日は、6月7日。砧教会2020年6月7日問題発生からちょうど6年となる。幸い礼拝出席は30名弱と事件発生前とほとんど変わらない。牧師は変わり、説教は興味深かった。福音を妨害するものについて、AIに質問して得られた答えや、以前所属していた教会で他宗教からの乗っ取り攻撃に近い問題が発生したことについても触れられていて、かつての砧教会の信徒が支持していた講解説教の印象はないが、サンヘドリンが71名構成であることに触れるなど、知的刺激もあった。

私は砧教会に小学校中学年時代から通い始めていたから、50年以上関わりを持っているわけで、会堂に入ると、本来自分が戻るべき家と感じられるような愛着感はある。また、2020年6月7日問題で自分は間違ったことは一切していないと確信しているので、会堂訪問時に後ろ暗い感覚は全く無い。昔から知っている顔はもちろん多く、2020年6月7日時点で役員であった人以外の多くが向こうから元気でしたかと声をかけてくれたり、砧教会と日本基督教団からカトリックに移籍した母のことにも触れる。

奏楽者、私を排除する発言の筆頭の女性がつとめ、教会学校は依然として佐分利正彦の名前がある。事実を曲げ弾圧するものが依然として奏楽や教師を担当しているのは残念なことだ。罪の存在を認めない人は許しようがない。そして、罪があることを主張されることが耐えられない人はこそこそと逃げ隠れるように動く。人間は誰でも間違いを犯すし、間違いを犯した人であっても誠実に為すべきことをなしていけば良いだろう。やるべきことをやらなくなるよりは遥かに善い。しかし、素直に自分が罪を犯したことを認めて排除・差別・いじめの加害者であったことを認めて許しを乞いたほうが良い。私は、事実を曲げたことや排除行動は決して許さないが、行動を起こした人間を断罪する気持ちはない。自分は正しくありたいという思いが自分を邪悪化させるのだ。私自身が戒めなければならないことでもある。

今日の説教でも、自分の正しさだけに固執して耳を閉ざすことの問題をサンヘドリン等の例をもちいて訴求されていたが、異教の人から見ればキリスト教徒こそが彼らが信じる真理に耳を閉ざしていると解釈することもできるだろう。

金井美彦、佐分利正彦とその強権(扇動)に迎合した役員らによって私と私の家族は砧教会での居場所を奪われた。正直言って、復讐したくなる感情は否定できないが、それより砧教会が公器として自浄作用が機能する福音宣教に貢献できる組織であったら良いと願ってやまない。

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