スティグリッツ 資本主義と自由 読了。
「はじめに」の書き出しに痺れた。
自由は、人間にとってかけがえのない大切なものである。だが自由を擁護する人たちの多くは、 自由の本当の意味など考えてはいない。誰のための自由なのか? ある人の自由がほかの人の自由を犠牲にして成り立っているとしたら? オックスフォード大学の哲学者アイザイア・バーリンは、それをうまくこう表現している。「オオカミにとっての自由は、往々にしてヒツジにとっての死を意味する」
この歳になって分かったと思うことは、自分は誠実だと信じていても行動はオオカミだったことに気が付けなかった現実を受け入れられるようになったのではないかということだ。明らかに30年ほど前には私は新自由主義を信じていた。そのおかげで一定の富を蓄積することができ、容易には経験できない経験もできた。最初の海外出張でミラノに行った時のことをしばしば思い出す。当時のAI研究の最先端であったIJCAIの会議中に議場に強烈な雨漏りがあったことを思い出す。その写真を撮ろうとして、復旧に全力を尽くしている人から批判的な眼差しで見られてことも思いだす。その頃は、日本人(という民族あるいは想像の共同体)は疑いなく優位な民族(あるいは政府)だと慢心していた。
スティグリッツ氏は、ハイエクとフリードマンを強烈に批判している。「オオカミにとっての自由は、往々にしてヒツジにとっての死を意味する」の引用は象徴的だが、強者が自分に都合の良いルールを作ると、巣食うものが現れて弱者を食い散らかすというのが現実に近い。結果として、ヒツジにとっての死を意味することは同じなのだが、12章で触れられている投資協定の話などを読むと、その現実に震撼する。強国の強者が自国に有利になるような制度を作る時に巣食うものが儲けやすくする(投資家対国家紛争解決協定)。その調停に係る弁護士は投資家(企業)を儲けさせる裁定を行い、企業から分け前をもらう。強い企業はオオカミでもあるが、制度を作るのは立法府で政治家も企業の金に負ける。強くなければ企業の利益を守れないから、国民の血を流しても強国を目指す扇動者が支持を得る。ヒツジ(権力ネットワークの辺境に生きる人)は経済的にも生命的にも搾取され放題となるのがわかる。
ノーブレス・オブリージュという言葉もあるが、自由には責任が伴う。本来は大きな権力を手にする人、大きな自由を享受する人には、相応の責任が伴わなければいけないはずだが、右派は勝てば官軍、勝ち馬に乗ってこそ勝利への近道と考えてしまう。結果的に国が滅ぶことになるのだが、ヒツジさえハイエナになれる夢を見てしまうのだ。
現実は2つの意味で厳しい。短期軸では新自由主義的な行動は成果を出せるのが現実で、それを支持するのに一定の合理性がある。しかし長期で見れば、例外なく破綻するので結局損をする。次世代に負の遺産を積み上げていることと等しい。
スティグリッツ氏は、より広く、より長期的に考えることさえできれば世界を変えられると言っているが、容易ではない。
直近で言えば、AIに投資が集中しているが、それが莫大なエネルギー消費を生んでいて、その投資行動が地球の持続性を損なっていることを無視あるいは軽視している。勝ち馬に乗れなければハイエナは死ぬ。ヒツジは最初から投資余力がない。日本の高度成長期に公害が甚大な被害を出してヒツジが反乱するまで政府が企業側の味方だったことと同じことがスケールを拡大して今起きている。公害もひどくなる前に継承を鳴らしている人はいた。ローマ教皇はAIへの無節制な投資を批判している。
国家の善良な統制によって、あるいは国際統治システムの機能化によって副作用にも十分配慮した挑戦が可能になるという主張でもある。
企業は従業員が十分な教育を受けて生産性向上に寄与する駒になってもらわないと困るのだが、知恵をえて搾取の仕組みを見抜かれては困るのである。システムを作る役割を担う政治家が自由に伴う責任を放棄する(具体的には嘘をつくのを躊躇わなくなる)とまず教育システムの破壊に着手する。ドイツが最初に破壊したのは(先進的に男性と女性の2分性を幻想だと看破した)性科学だった。右派は基本原理は単純だとヒツジに感じさせることで、本来複雑で大きなシステムを必要とする統治機構を破壊してしまう。
「だが自由を擁護する人たちの多くは、 自由の本当の意味など考えてはいない」を私なら「自由を擁護しているような発言をする人たちの多くは、自分(オオカミ)の自由のこと以外は考えていない」と訳したい。同時に権力者は市民が「自由の本当の意味」を真剣に考えられたら困る。そして、ヒツジは「自由の本当の意味」を考える重みに耐えかねて、ほとんど成功確率のないハイエナへの道、依存心に落ちて自ら自由を放棄してしまうのである。
この本には多くの共感と多くの発見があったが、残念ながら出口はみつけられなかった。しかし、ヒントはたくさん散りばめられているので既に勝ち馬の誘惑に負けてしまった人たちを含めて、現実を見る力を高めるために目を通していただきたいと願っている。