自治体は何のためにあるのか 読了。日経書評で読んでみようかなと思って借りたが、想像していたものとは結構違って、考えさせられた。書評では、タイトルに対する著者の答えは明確で「今日と同じように明日も暮らし続けられることを市民に保障する」と書かれている。5.3自治体ディフェンダー論(P194)でその言葉を挙げて改めて総括されているが、「今日と同じように明日も暮らし続けられることを市民に保障する」は場所によって異なる。4月に留萠線が廃線となったケースでは、昨日と同じような生活は失われる。第一には住民が生きていけることが優先されるべきだが、それ以外にも住民には様々な希望や苦しみがあり、自治体はそれに答えていかなければいけない。東京中心部に暮らしていると、防災の強化などが気になるし、下水道問題、待機児童問題や老人ホーム問題も話題となる。金が必要だが、人口減時代に潤沢な予算など望むべくもない。課題解決を進めるためには、常識的に考えれば、増税するしか無いが、住民の稼ぐ力も落ちてくると、あきらめることも必要になる。痛いのは、稼ぐ力のある人や企業がお金を出すのをいやがる傾向があることだ。誰しも、税金は安いほうが良いし、サービスレベルは高いほうが良い。金がある人は自助範囲の拡大によって税負担を下げることを求めてしまいやすい。一方、上下水道やエネルギー、道路などの生活インフラは自助で解決できるものではない。
この書籍は、地方創生の動きの中で、国見町で起こった事件が国からの助成金制度のシステムに巣食うハイエナ的な動きを紹介するところから始まっている(1.「稼ぐ」地方創生の末路)。最終章5.自治体ディフェンダー論で国の主権者である住民の国民主権が奪われ国家主権に移行しつつあるのではないかという疑義が暗に提示されている。自治体に必要な予算が確保できない時に、国の交付金に頼らざるを得ないが、その金の動きの中で、政商が跋扈したり、不適切な支配関係が発生していることが見えてくる。教育利権の話も出てくるし、内閣府の邪悪な側面も見えてくる。地方創生の理念は良くても、そこに利権の構造を作り出す政治家が絡めば不適切な金の流れが生まれる。そういった金の流れは権力の集中につながるもので、自然と国民主権は国家に収奪されることになる。自治体の権力者もお金を動かして成果を出さなければいけないし、中央へのへつらいと、それに伴う恩恵への誘惑から逃れることは難しい。金は怖いものだ。
読んでいると、暗い気分になる話が多いが、読むことでの気付きは多い。最後の社会分権型自治体へという提言、特に有権者の意識が不可欠であること、その個人が地域やコミュニティに対して従属することがあってはならないという考えに共感をおぼえた。
「今日と同じように明日も暮らし続けられることを市民に保障する」は衰退期にある日本では現実的ではない。もちろん「伝統的な共同体を取り戻す」というような動きに走っても高度成長期のような日々は戻らないし、当時より今のほうがはるかに暮らしやすくなっている部分もある点を理解しなければいけない。本当に大事にすることは何かを、感覚的にではなく客観的な事実に基づいて理解して計画を立て、自分たちで未来を作っていこうと思わなければお先真っ暗ということだ。
自治体のサイズが大きくなると、共同体意識をもつことは難しくなる。共同体意識が希薄になると、権力者と市民の距離は開き、強者に従うのが現実解に思えてきてしまうが、それは実は自分の自由を売り渡してしまうことにほかならない。かなり毒は回ってしまっていて、権力者の暴走をある程度止める力がある憲法さえ、不適切な改正がなされる可能性が出てきている今、改めて自治体、地域政策に意識的になる必要があることを理解した。しかし、具体的に何ができるかとなると簡単な答えはない。文京区のレベルでも約25万人と巨大で身近に論じることは困難だし、町会レベルだと祭りだなんだと近づき難いものがある(コミュニティに対して従属的であることを求められそうな危うさを感じる)。そう考えると、本書で出てくるアリスセンターのようなNPOに関わっていくというのが一つの道になるかもしれない。
読んで良かった。