福田 清人編/高原 二郎著 有島武郎読了。札幌誕生の流れで借り出した本。そうだったのか、そんなことがあったのかと驚きを持って読んだ。有島武郎の本は何冊か読んだが、第二編「作品と解説」を読んでも、内容はあまり思い出せない。この本を読んだ後で、何冊かは時間を見つけて読み直しても良いかなと思った。
1877年生まれだから、私から80歳強年上ということになる。明治が始まったのが1868年だからその11年後の生まれとなる。ざっくり3世代上ということになる。大正後期の1923年に自殺しているので、戦後のことは知らないのだが、なんだか戦後の民主主義の流れを感じさせる人でもある。
キリスト教に入信して、キリスト教から離れた人だが、どうやら最後までキリスト教の呪縛から逃れられなかった人のように見える。
明治時代に名が出てくる人は、親、親の親は政権に関わっているような人で、所謂一般人ではない。札幌誕生でも、この本でも出てくる狩太農場(後の共生農場)という利権が与えられるような家の人だ。一定の資産と、ある種の特権があるから、海外視察や留学も可能になり、キリスト教文化のパワーに接する機会があった。神のもとの平等という価値観は衝撃的だっただろう。常識がひっくり返る衝撃は想像に難くない。私は、内村もその一人だと思う。有島武郎も関わった11歳年下の賀川豊彦あたりになると、事情が変わってくるが、時代の変化には時間がかかるということがわかる。
「札幌誕生」では、農地の権利の移転の話が有島武郎章のピークになっているが、この本の農地解放節では贖罪的な位置づけになっていて、どちらかと言えば気の迷いで利権を捨てたように読める。事実としては、戦後に個人所有になっているから、有島の所業はキリスト教文化的価値観としては立派なこととして評価されるだろう。何が良いことかを評価する価値観も変動するし、行為の評価にも長い時間がかかるということもわかる。
自分はどう生きるべきなのか、安易に短期にウケを狙ってはいけないと思わされた。