ハマスと村山談話

私は新しい戦前が始まろうとしていると憂慮している。

改めて、村山談話を読み直した。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」という表明は歴史に残るものだ。その上で、以下のように結んだ。


 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


私は信じる、私の誓い、とあるように国の意思ではなく個人の意見だが、公式声明である。

私は、この「深い反省に立ち」という思いはとても大事だと思っていて、ハマスはイスラエルに対する拉致事件について深い反省に立つ必要があると考えている。イスラエルのひどさは明らかであっても、ハマスが拉致被害者を含めイスラエルの人々に多大の損害と苦痛を与えたのは事実である。敗戦から50年が経過しての談話と異なり、今戦争が続いている中でハマスが組織的な反省の表明をすることは困難なのは承知しているが、中長期で見れば国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要なのは間違いないだろう。もちろん、国際世論を得て不法な入植行為を止めるべきだと考えている。

中国を含め各国は、力で権力を得ようとするネタニヤフ政権、プーチン政権にも「責任ある国際社会の一員として国際協調」を促していくのが望ましいと思う。特に大国には国際社会の一員としての責任の自覚が不可欠だ。

村山氏は自衛隊合憲を認めた。非武装中立は役割を終えたと発言したとされる。

残念ながら、現代でも非武装は現実的な選択とはならない。国際協調より自国中心で他国の人々に対して多大な損害や苦痛を与えることをためらわない考え方をする人はいなくならないからだ。よほどの軍事大国でなければ、集団的自衛権を設定しなければ、力で侵略を行う勢力を食い止めることはできない。軍事大国であっても自国の人々に対して多大な損害や苦痛を与えることになる。

「来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないこと」という警鐘は重い。

自分たちがうまく行っていないのは、外敵のせいだという論調は本質的に独善的なナショナリズムと同じことだ。そこではなく、「未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道」を探求していくこと以外の道はない。格差社会の犠牲者に生活費を供しても本質的な問題解決にはならないし、国際的な経済格差が人類社会の平和と繁栄を遠ざけていることも明らかだ。

日出る国などと発言する為政者をのさばらせてはいけない。独善的なナショナリズムが見え隠れするような為政者はハマスであれロシアであれ、平和につながる仲介者には本質的に成り得ないのである。

主権者の精神が問われる。乱暴者に頼ってはいけない。日本はもはや第一級の大国ではないが、国際社会の一員として国際協調の責任を自覚しなければいけない。これまで自民党政権であっても危うさはありながら(村山談話を継承しつつ)まあまあうまくやってこれていると思っているが、自民・維新政権がその資産を放棄してしまうのではないかと憂慮している。

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