口語訳古事記

口語訳 古事記 完全版は読みやすくて助かった。解説も充実している。本文の後の「古事記の世界」は読み応えがあって、私の知識不足で理解できないことも多いが、流れを追うだけでも感心させられることが多かった。もともとの興味は旧約聖書の歴史と比較してみたいという気持ちにあったので、2度読みして2回目は創世記を意識しながら読んだ。旧約聖書に出てくる女神はエレミヤ書に異邦の邪神として出てくるが、創世記には女神は出てこない。ただ、創世記6章には神の子と人の娘の子どもとしてネフィリムが出てくる。古事記では、当初の神は性がない(独り神)が、やがて兄妹神が生まれイザナギ夫婦(兄妹)から子どもが生まれる記述になっている。その後男性神と人の娘の子が英雄となる。創世記6章で出てくるネフィリムと近い話と読むことができる。

古事記では、イザナギ、イザナミは島を生む。壱岐、隠岐、淡路島、四国、九州、本州は、彼らの子である。北海道、沖縄は含まれていないが、本州は福島あたりまでは認識されている。女神が生むものは人でないものを産み落とすというのは興味深い。伝承の編纂の側面もあるが、天皇家を昔に遡っていくという中心テーマで考えると、当時の世界観に基づいて創世記的な記事を書くことになるのだろう。文書文化という意味では中国に学んでいることを考えると朝鮮半島にはある程度触れていても、当初の神が中国を含む全世界を作ったと記すことはできなかったのではないかと思う。選民として優越的な立場を正当化したい体制側の人間にとっては、あまりうれしい話ではない。現代の右派の人たちが、捏造されたとしか思えない天皇家の系譜をもって、最長の王族などと主張するのは冷静に考えれば哀れとしか言いようがない。それはシオニストも同じだ。哀れなのだが、そういう人々は迷惑な存在で、しばしば戦争の原因となる。

古事記でも多くの争いが書かれていて、多くは理不尽なものだ。天皇の系譜の裏にある強烈な権力争いが透けて見え、王権神授説的な美しい正統性などありはしない。

三浦氏は日本書紀と古事記では記述に違いがあることにしばしば触れていて、正史の編纂による意図的な記述と伝承をできる範囲で明確化しようとしているとことは素晴らしいと思う。旧約聖書であれば、申命記が恐らくヨシア王によるモーセの時代の再解釈となっていて、モーセ5書と食い違う。旧約聖書はモーセ前後で時代が別れていて、モーセから昔に向かって書かれた書物が創世記で、古事記の位置づけと近いと考えることもできるだろう。神話時代を矛盾なく書くことはできないが、人間と交配する能力を持つ神的存在が両書で書かれているのは大変興味深い。そういう伝承は多くの場所であったと考えることができる。

ライブに神話時代を生きた人が伝承を作り出したと考えることはできないから、誰かが作った作り話と考えたほうが現実的だとは思うが、それでも類似性が感じられる話が残るのは興味深い。一つの可能性としては、いわゆる外国人との子どもが強く育って時代を変えてきたという話かも知れない。

古事記を天智天皇あたりの時代の書籍で、特に神代篇は、事実の記録に基づいた歴史書ではありえない。鼻白む部分もあるが読んで面白いものだ。実際に伝承を収集して編纂したのは事実だろう。同時に、意図に基づいて取捨選択や改ざんが行われているのも含まれているはずだ。最も興味深いと思うのは、古事記に沿って天皇家を遡っていくと決して清廉潔白ではないところだ。個人としては、現実はこんなものだったのだろうと考えつつ、では、これからどうして行けばよいのかを考えながら読めばよいのだと考えている。月並みだが、人権を重視しつつ、法治環境を高めていくように動くしかないのだろうなと思っている。

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