大学生・社会人のためのイスラーム講座

大学生・社会人のためのイスラーム講座を読み終わった。プロテスタント教会はこの本をテキストとした勉強会をやったら良いと思う。わかりやすく宗教的ではない形で説明がされているのが良い。

第5章聖典クルアーンに以下のように書かれている。


ムハンマドを通じて語った神は、当時のアラビア半島に蔓延していた悪しき価値観を次々と批判した。富者のおごりと貧富の差を批判し、男尊女卑を批判し、血統を誇る部族の傲慢さを批判し、人種差別を批判した。


なんとなくイスラム教では女性は差別的な扱いを受けているという先入観があったが、公平と自由が基調になっていることがわかる。ムハンマドは預言者、つまり人間であって神ではない。キリスト教におけるイエスとは全く異なる位置づけで、預言者として神のメッセージを伝え、そのメッセージがクルアーン(コーラン)にまとめられている。価値があるのはクルアーンというメッセージであり、ムハンマドそのものが信仰の対象ではない。クルアーンは神から与えられたメッセージだが、ムハンマド(あるいはムハンマドにつながる学者など)が自ら発した言葉はハディースとして記録されている。クルアーンと違って、クルアーンの解釈は現実の問題に照らして考えなければいけないから、当然時代と共に変化する。第9章のイスラーム金融で触れられているシステムは興味深く、イスラーム金融機関では、シャリーア諮問委員会の設置が義務付けられていて、クルアーンとの整合性を保ちながら金融商品を設計しないといけない。「富者のおごりと貧富の差を批判」が原点にあるので利子は取れない。元本は変わらないが、投資収益は配当を受けて良い。事業が失敗して利益が出なくても利息でどんどん返済元本が膨らんでいくようなシステムは許されない。欧州で確立されている民法とはシステムが違うので、西洋法の領域で訴訟が起きると面倒なことになる。

金貸しというとユダヤ人が頭に浮かぶ。イスラームは元々は排他的な宗教ではないが、利子をとってはいけない社会で金貸しで儲ける行為は許容できない。排除しないとしても、付き合い方は難しくなる。

法の支配は国家と結びついているので、領土拡大を志向するところは帝国的な要素はなくならない。

一方、第10章のハラール認証のところでも書かれているが、是非の判断は基本的に個人に任されている。認定ハラール機関にはISO17020の取得が求められるなど、科学的アプローチはしっかりしているが、それは認定機関への要求であって個人が認定を受けたものしか食べてはいけないということではない。

ムスリムは「ムスリムになるためには、証人となるムスリムの前で信仰告白(シャハーダ)の手続きを取ることが必要である。」とあるようにキリスト教のような教会が担うような形はとっていない。考えようによっては緩い。原理的には本人の意思が重要であると言える。判断が個人に任されることから、エジプトのようにスカーフを被らないムスリム女性がいたりする。個人の人権意識が尊重される。本人が信仰をもっているかどうかを見た目で判断してはいけないということだろう。一方で、それを明示すべきだと考える人もいて、見た目でわかるように主張する人も増えているらしい。

G7が国際ルールを主導するような世界では、ムスリムと言えどそのルールを無視するわけにはいかないし、他の人々と同じく大半は平和を望む人々だから、うまく共存できる未来を望んでいる。その構造を破壊したのは、1967年の第三次中東戦争と書かれている。西洋起源の世俗的近代主義が、かなりご都合主義で、イスラエルのような人権を無視する帝国主義的な勢力を止めもしないことに気づいてしまえば、自らの道を探していかなければならないのは当然と言えよう。

今でも、EUですら十分に政教分離はできていない。できれば、現在の欧米的法概念をイスラーム法との整合性を考慮してアップデートをするべきだろう。クルアーンの原点とキリスト教の価値観は相当部分で一致している。共存の道がないとは思えない。

トランプが荒らしまくっている状態を機にパレスチナの二国家解決に本腰をいれて立ち向かうのが良いように思った。ごく一部の過激派やそれに巻き込まれた人を除けば、ムスリムは決して話ができない相手だとは思えない。内部からのプロテスタント的、科学的な宗教改革(解釈のアップデート)も行われていて、それは閉じられたものではないようだ。個々人の価値観は時代や地域の影響も受けるものの、自由と平等を基本とすることで一致はある。排他性の抑止がキーワードだろう。

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