NARVAは苦しんでいるように見えた

冒頭画像は国境の橋。よく見ると、エストニア側からロシアに向かって歩いている人がいる。逆方向にも荷物を引きずって歩く人がいる。2021年に初めてきた時は、ウクライナ侵攻の前で、この橋を車が行き来していたし、バスやトラックも通っていた。

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当時は、街にはそれなりの活気があったが、今日は昨年に比べても寂しくなっていた。

今日は、今年の秋ツアーの最初の週末で、『エストニアを知るための59章』を再読して、18章のシニマエ攻防戦が気になって、Jöhviからバスでシラマエを経由してシニマエの戦争博物館を訪問した。博物館自身はとても小さくてコメントするようなことはないが、周囲の旧跡には親切な案内看板が立っていて、歩き回ると1時間では足りないほど見どころがある。エストニアはほとんどが平地で、海抜60メートルの丘だと、かなりの見晴らしが得られる。そこで、エストニアの軍人がドイツ兵としてソ連と戦ったのだ。当時のことは、エストニア語だが、Narva ja Sinimäed 1944に書かれている(機械翻訳で十分読める)。書籍にあったように高台に登ると、本当に周囲がよく見える。今は、展望塔が立っているのでなおさらだ。

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守りの要衝になったのは良くわかった。結果的にはドイツが撤退して、エストニアはソ連の支配下に落ちた。

宮崎駿が『泥まみれの虎』で描いているらしい。

NARVAの国境の送電塔は立ってはいるが、電線はつながっていない。エストニア側からは線が伸びているが、ロシア側の鉄塔にはつながっていない。

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線路も川をまたいでいるが、列車は走ることはない。21年の頃は、貨物車両がNARVA駅にたくさんあったけれど、今は1両しか見ることができなかった。行き来がなければ荷物は動かない。

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いずれまた自由な行き来ができる日が来ることを願ってやまない。

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