今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第19主日 (2024/8/11 ヨハネ6章41-51節)」。3年前の記事がある。並行箇所はない。
福音朗読 ヨハネ6・41-51
41〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、 42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 46父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。 47はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。48わたしは命のパンである。 49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
3年前の記事で、私は「福音のヒント(1)に「紀元80年にユダヤ教はキリスト信者を会堂から追放するという決定をしました」とあるから、」と書いている。今回福音のヒントを読んでひっかかったのは同じ部分だった。80年と言えば、ユダヤ戦争の敗戦後で、右派は失脚していて政治活動はできない状況になっていただろう。Wikipediaによれば、キリスト教徒は開戦前にデカポリスに逃げたという記述がある。異論もあるようだが、ユダヤ教の宗教改革と考えていた人も、もはや新たな教団(教会)を起こすしか無いと考えていた人もいたに違いない。恐らく、ユダヤ教からの独立が不可避だと考えた人が拠点を移した事実はあっただろう。
マルコ伝は遅くても80年には執筆完了と考えられていて、ヨハネ伝は80年よりは遅い。つまり、ユダヤ教との決別より前に書かれたものと決別後に書かれたものという大きな背景差がある。ユダヤ戦争敗戦前か敗戦後かという違いも大きい。ヨハネ伝のコンテキストでは同じ神から発生した宗教だが、独立した宗教団体と捉えていて、マルコ伝のコンテキストでは同じ宗教の新解釈の提示にあたる。ヨハネ伝では「父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る」と言い切っていて、袂を分かったユダヤ教の人々は異端と位置づけている。もちろん、改宗を求める動きはあった。
ちなみにパウロは65年頃に処刑されている。ユダヤ戦争の開戦前だ。パウロ書簡はそれ以前の文書となり、一番古いと言われているマルコ伝でさえ、完成したのはパウロの死後ということになる。その前後にペトロも処刑されている。マルコ伝の著者もその事実を知っている上でイエス伝を執筆し、ペトロの言動、イエスのペトロへの予言を書いていることになる。ヨハネ伝はさらに新しい文書でエルサレム教会を弾圧し、キリスト信者を会堂から追放するという決定をしたユダヤ教の所業を経て、執筆されたもので、独立した宗教団体の位置づけでイエス伝を書いている。「わたしはその人を終わりの日に復活させる」という言葉は、ユダヤ教との決別を明示しているととって良いと思う。共観福音書に出てこないこの箇所は、イエスが実際に言ったことというより、ユダヤ教と決別したキリスト教団の主張と考えたほうが理解しやすい。ヨハネ伝は教団の主張となっていてInとOutがはっきりしていてわかりやすい。指針として使いやすいのである。
この箇所も、イエスの神性を記述したものの一つでイエス自身の言明ではなく教団の解釈と取るのが適切だと思う。もし、イエスがこの箇所を読んだら、私はこんなことは言っていないが、教団が共通見解としたいのなら、それは自由だと言うのではないかと思う。そもそもイエス伝だけで4文書あり、相互に矛盾があり、キリスト教では価値基準は結局個々人に任されている。その上で異端的な集団が生まれたり滅んだりしながら2,000年を経ても三位一体の信仰が続いている。実際には聖霊の働きに期待し、取り残されるものを出さないようにしようとする理念を守ることが重要になる。
初期キリスト教の重要人物とされるペトロ、義人ヤコブ、パウロはいずれも60年代に処刑されて死んでいる。つまり、教会は外部からの有形・無形の攻撃を受けていた。攻撃を受けた時に反撃に走った人もいただろうが、生き残ったのは無暴力で善行に励んだ集団だったのだと思う。出自あるいは所属にこだわるのではなく、善いことを行うことが本質的な生き残りの形だろう。必要な時に聖霊が働くという考え方に立てば良い。現実には、外部からの攻撃による犠牲者は出る。内部の腐敗による犠牲者も出る。犠牲者を出さなくて済むように知恵を絞る必要はある。教会堂一つをとっても、できるだけオープンであるべきだが、放火されては困る。備えは欠かせない。しかし、備えが欠かせないと言って、敵対勢力を叩くような施策はイエスの教えにはそぐわない。自分の信仰と違う人を差別しても未来は開けない。ただ、信じるものを信じて自分の人生を生きるのが良い。強い国あるいは強い集団を目指す必要はない。誰もが生きていける社会を目指すのが良いと私は信じている。
先週は、長崎の追悼があり、イスラエルを招待しなかったことでG7の大使が来なかったが、イスラエルのやっていることはジェノサイドにほかならない。政治は怖いが真実に向き合う長崎市長は立派だと思った。強い国あるいは選民思想は慢心を招く。共生の道を捨てても良いと考えるようになればやがて滅びる。だめなことはだめと言えたほうが良い。常に自分が犯している罪に向かい合う勇気が必要で、免責を勝ち取るために力を使うのはやってはいけないことだ。イエス後2,000年を経てもシオニズムは生き残った。今後もシオニストを一掃することはできないだろう。しかし、人殺しを止めることはできるはずだと信じている。力比べに頼ることなく実現できる道があると私は信じている。
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」という言葉が聖書に残った意味は良く考えたほうが良いだろう。
※冒頭の画像はRylands Library Papyrus P52から引用させていただいたもの。2世紀のヨハネ伝の現存する最古の写本の一部とされている。