タリン・ブラックナイト映画祭でカザフスタンの映画が国際映画批評家連盟賞を受賞した

hagi に投稿

パブネタでもあるのだが、先週の日曜日、タリン・ブラックナイト映画祭の話が出て、PÖFF: The Land Where Winds Stood Stillを見に行くので早く抜けるとバーの常連から言われた。近くの映画館で19時から上映された映画だ。後日、どうだったかと聞いたら、すごかった、ウクライナでも起きた飢餓の話だと言われ、気になって少し調べてみた。この映画は、1930-1933のカザフ飢饉の話。少し時差をつけてウクライナでホロドモールの話と繋がっている。

私は若い頃、ほとんど全く歴史に興味がなかった。まんがは読んだような気がするが、少なくともこの時期のソ連の飢餓の問題のことは全然記憶にない。

また、カザフスタンについてもほとんど何も知らない。最近ロシアとの距離を取ろうとしているように見えているが、多分100年前の記憶は消えていないのだろう。ウクライナも同じで、ホロドモールの記憶は消えていないはずだ。学術的には必ずしもジェノサイドとは呼べないようだが、政策の失敗だったとしても大変なことが起きていたのだった。

個々人の差はあるだろうが、エストニアも長くソ連に支配されていたこともあり辛酸をなめてきたら、口には出さなくても自分自身の問題と近く考えている人がいるようだ。大きな権力には決して油断してはならないという思いが時折自制を超えて漏れ出してくることがある。周囲の人が適当に話題をそらしながら熱くならないように場を保っているが、保つ側の人も決して感情がないわけではない。暴走しないように動いているだけに見えなくもないのである。落ち着いた雰囲気になれば、意見も出る。

そういった景色を見ていて、中国の人々、韓国、北朝鮮の人々、アジアの人々の中には虐待の記憶が消えていない人は必ずいると思った。こういう問題は程度の差ではなく、弾圧がなくなった後でも弾圧者の記憶は消えないということなのだと思う。いつまでも過去にこだわっているわけには行かないので、衝突が収まれば少なくとも表面上は許す。許すことで得られるものも少なくなければかなり積極的に関係を深めようとしたりもする。しかし、そう簡単に記憶は消えない。

エストニアでは、歴史展示が博物館や美術館で色濃く出ていて、ロシアと敵対することを選択していないが、恐怖の記憶は消えていないのだと思う。結構怖い。

何らかの意味で力が強い国の権力者は自国優先主義を唱えてはいけない。必ず他国や他国の民を身構えさせる。

記憶を風化させてはいけないが、記憶で怒りを呼び覚ますのも感心しない。記憶を保ちつつ、同じ過ちを犯さない、犯させないためになにができるかに集中すべきだろう。

様々な国際会議やイベントに参加するとある程度多様な人と接することはできるが、それとは別に自分が異分子の立場でどこかに入っていくことで見えてくることもある。エリートでない若者の多くが外国滞在経験をもつような社会が望ましいと思う。それを考えると、EU市民権はすごいと思うのだ。渡航の自由のみならず就労の自由がある。決して甘くはないが、一定期間、あるいは一生そこで生きていく決心のハードルが低いのだ。

まだ第一次世界大戦、第二次世界大戦はある意味では終わっていないのである。安保理、拒否権はその証拠の一つと言えるだろう。これから、地球温暖化、異常気象が深刻になると自国中心主義が多くの人の命を奪うことになるのではないかと心配になる。

※画像は、会期中いろいろなところに立っていた看板。後ろの狼の展示が11月3日〜19日というPÖFF(タリン・ブラックナイト映画祭)会期を示している。19日(日)は最終日だったということだ。11月8日に何だろうと思って撮影した写真で、たまたま街で聞いてみても観光客だったのか何のことだかわからないという返事が帰ってきた。思い起こすとコロナ下の2011年、日本から映画祭に出展していた人の集団にモールで遭遇していた。その時は、急遽の帰国準備でPCR検査が話題になっていた。2年は短いようで長い。

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