昨日、デジ庁の話がちょっと出て、システム開発の現場は相当大変そうだという噂が流れてきた。まあ、きっとそうなんだろうなと思った。
私はeIDは極めて重要だと考えている。その主キーがマイナンバーなら、個人を扱う情報システムでマイナンバーをキーにするのが適切だと思っている。各システムが収集する個人情報を最小化し、そのデータ主権を個人に持たせないといけないと思っている。現在のマイナンバー法はそういう未来を導く制度にはなっていない。
どの行政システムも、民間システムも個人をeIDで認識するようになれば、相互運用性は飛躍的に高まるはずなのになぜかそういう方向に動いていないのは残念だ。
デジ庁の人たちはそんなことは百も承知だろう。
日本の行政に関わるルールは紙の時代のルールとしてはかなりしっかり作られていると思うが、逆にそれがシステムの再設計には邪魔になる。新しく制度を作り直すのは難しく、リソースとしても技術と法律に明るいバイリンガルな人が必要だが、文系、理系に大別して考える空気が残っているとそういう人材は育ちにくい。すごい技術者を採用するだけでは問題は解決しない。アドレス・ベース・レジストリなど、よく頑張っていると思うけれど、地方自治法、住居表示に関する法律、不動産登記法はもちろん、住民票、法人登記、戸籍で扱う住所をどう再整理するかという法改正やその他のルールの変更をやらなければ相互運用が可能なシステムにならない(マスターデータの一元化ができない)。建物の認識も区分所有権、位置情報との連携について整理しなければいけない。戸籍に至っては、建物の所有権、実在性は仮定できない住所だから、故人にも個人番号を付与し、戸籍上の関係を情報化すれば、住所は検索キーに過ぎなくなる。本質的には家と個人を結びつける履歴つき関係情報だろう。住民基本台帳も、ホームレスになれば機能しないし、ノマド型ライフスタイルが現実化しつつある中、長期的な持続性はない。自治体と世帯と個人を結びつける履歴つき関係情報で、納税、社会保障、選挙権などと結びついているが、それぞれ関連法規がある。これらを整理し直さなければスマートなデータモデルは作れない。この程度検討しただけでも検討しなければいけない法律やルールが膨大にあることが分かる。偉い人は何とかしろと言うだろうが、現場は大変だ。まあ、常識的に考えて、デジ庁の現場は日々合掌ものの修羅場だろう。
でも、デジタル・ガバメントの実現には避けて通れない道のりで、分かっている人たちは、分かっていてこつこつと出口イメージと工程表を作っているはずだ。出口イメージは法改正と直結しているから行政(官僚)と立法府がその重要性を理解して、協力しない限り出口にたどり着くことはできない。
デジタル・ガバメントの遅れは、すべての活動の生産性向上阻害要件となる。
エストニアのようにある意味で新しい国だと思いきった制度設計が可能になるが、古い国はそういうわけにはいかない。制度変更は、かならず副作用を伴うし、既得権益に影響を与える。それでも、頑張って進めるしか無い。
ただ、デジ庁のページを見ても、包括的データ戦略(PDF/1,704KB)からは今ひとつ、既存の法制度に基づくシステム化から踏み出せていない気がして心配だ。「日本社会全体でのデータに係るリテラシーの低さ、プライバシーに関する強い懸念等から、データの整備、データの利活用環境の整備、実際のデータの利活用は十分に進んでこなかった。」とまとめられているが、その後の対応が、どうも技術側によっている感じがする。
オープンデータは少しずつ充実してきていて、頑張っている人は確実に存在している。でも、どこか表面的でデータ更新がなされていないケースも散見される。行政システム(広義のシステム)の制度疲労に取り組まないと経済も上向かないのではないかと懸念する。
全然別のところで信の喪失が停滞の原因という発言があって首をかしげたのだが、プライバシーに対する社会の反応を見ていると信の喪失も原因としても考えて良いかも知れない。とはいえ、変化を恐れる保守化が最大の問題なのではないだろうか。