砧教会の会堂礼拝参加は連続3週目

私の約50年間の砧教会との歴史はこうして終わったの起点となった予算総会からまもなく1年。金井美彦氏からは、この教会ではあなたには何の権利もない、現住陪餐会員への復帰は認めないと言って、排斥された状況が続いている。しかし、3週目ともなると、だんだん萩原が来るのは日常として会員からは受け入れられ始め、朝の挨拶をいただけるようになった。以前と違って、ここ3週は、後ろの方に座るのではなく前から2列め、佐分利正彦氏が私物化し専有している席の左側の席に堂々と座っている。後ろ暗いことは何もない。できる限り誠実に、礼拝の時間を守っている。ただし、祝祷の時は着席している。金井美彦氏が砧教会の現住陪餐会員として認めないと言っている限り「我ら一同の上に」の我らには私は含まれていないのだから、金井美彦氏の祝祷は私にとっては呪いの言葉である。ただ、なぜか今日は「我ら」とは言わなかった。それには何らかの意図はあるだろう。それにしたって、事実をごまかし続け、隠蔽し続けている状態の金井美彦氏を個人としては牧師と認めることはできない。

今日は、佐分利正彦氏のご家族の方から、ごめんなさいと言われた。まだ、問題は解決していないと答えたが、それ以上でもそれ以下でもない。間違っていることは正されるべきだが、それ以上でもそれ以下でもない。ご本人ご家族の上に平安があることを願う。

まもなく復活節が来る。私は現住陪餐会員ではなく、砧教会では現在の代表である金井美彦氏があなたにはもう何の権利も無いと言い切ったわけだから、砧教会では陪餐の権利はない。だから復活節では聖餐にはあずかるわけにはいかない。他の会員はその状況を目にすることになるし、私はずっと道を真っ直ぐにせよと訴え続ける。砧教会は金井美彦氏のものではない。公器であることを忘れるべきではない。

政治的判断をした役員はいつまで自分は悪くないと自分を騙し続けることができるのだろうか?

ずっと過ごしてきた第二の家だ。腐ったままにしておきたくない。権威主義の牧師などまっぴらごめんだ。教会を私物化する書記も存在してはならない。それぞれ、そうでなくなればそれでよい。事実に向かい合って未来に向かって歩みを始めた方が良い。ただ、私が深く怒っていることは間違いのない現実だ。へらへらごまかしていても、恫喝しても、事態が解決することはない。怒っているからこそ、クールに考えないといけない。原点に戻れば、破綻を求めているわけではないのだ。

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