私の約50年間の砧教会との歴史はこうして終わった

hagi に投稿

2020年6月20日に当時また役員だった私は以下の公開質問状案を牧師と役員に送った。役員の一人から真摯な説得を受け、結局出さなかったのだが、今考えればそれが大失敗だった。しかし、それも今となっては終わったことだ。この記録で何かが変わることは一切期待していない。ただ、私から見えていた事実を記録として残しておくことに決めた。途中人名をマスクした以外は、誤字を含め何も変えていない。もちろん、これは私の目から見える事実解釈であって、他の人が見る他の事実解釈はあるだろう。しかし、私は真実と思う以外のことは一切書いてはいない(話が見えなくなるため一点、途中に出てくる4月18日(木)は6月18日(木)の誤りであることを注記しておく)。今読み直しても、考えは微動だにしていない。

突然のメッセージで失礼します

 
私こと萩原高行は、2020年6月7日に⬛⬛牧師および役員会の方々に向けて、メールで「本日の会堂での礼拝再開強行は明らかな総会決議事項違反であり、それを止められえなかったことの責任を取って辞任を申し入れます」とお伝えして辞任を申し出ました。
2020年6月21日零時の時点では、まだその辞任の申し出が審議されたかも承認されたかも連絡を受けておりません。
 
そのような状況の下4月18日(木)に恐らく皆様にも届いていると思いますが、砧教会牧師金井美彦、砧教会役員連名で書面が届き、2020年6月17日付けの砧教会役員会による「砧教会臨時総会開催に関するお知らせ」、7月2日を期日とする回答書が同封されていました。
 
しかしながら、萩原としては、6月14日に開催されたと書かれている役員会に招集されていませんので、「会堂礼拝再開について役員会で柔軟に判断しようということになりました」という議決に参加していませんし、総会開催についての決議にも参加していません。
もちろん、辞任を申し出たあとのことですので、役員会に呼ばない事自身はおかしなことではないと考えますが、本メールの役員会の議決報告には萩原の辞任申し出に関する記載が一切なく、会員の皆様は当然書記である萩原も合意の上で議決されたものとお考えになると思います。
それは、事実と反しますので、まずはその事実を知っていただきたいと思いこのメッセージを書きました。
事実を確認する上で、砧教会⬛⬛牧師および役員会にあてた公開質問状を作成しましたので、まずはお目通しいただきたくお願いします。
 
(改ページ)
 

⬛⬛先生、役員会の皆様に対する公開質問状

 
本日6月18日に役員会名で臨時総会開催に関する書面を頂戴しました。内容に明らかに不備があると思われるため問い合わせさせていただきます。以降に対して、役員会としての回答または、議長である⬛⬛牧師の役員会を代表した回答を求めます。
 
1つ目は、現在の役員の半数は任期が切れており、もし臨時総会を開催するのであれば、その暫定的な任期延長を審議しないといけないという点です。
2つ目は、臨時総会開催に関する役員会議事録あるいは役員会報告がなされていない点です。
 
もし役員会報告がなされる場合は、当然萩原の辞任申し出があったこととその審議内容も記録されるべきと考えます。少なくとも役員会に誰が参加したのか、どういう議論があったのかについて記されていなければ臨時総会を開催に足る議決があったとは認められません。
 
以上の理由で、私は、このお知らせ自身が無効(正当性がない)と考えます。
 
役員会の正常化を望みます。決して砧教会の正常な活動を邪魔するようなことは望んでおりません。しかし、不義は不義です。また、役員会の総意として再開が妥当と判断されたのであれば、はっきりと書けば良いと思います。意見は割れなかったのでしょうか?
6月7日の礼拝は会堂再開では無かったという確認が正式に役員会でなされたのでしょうか?
 
私は、「本日の会堂での礼拝再開強行は明らかな総会決議事項違反であり、それを止められえなかったことの責任を取って辞任を申し入れます」と書きました。もし、その辞任を役員会として受け入れるのであれば、「本日の会堂での礼拝再開強行は明らかな総会決議事項違反であり、それを止められえなかったことの責任を取」る事を認めることになります。とすると、役員会は6月7日は総会決議違反だったと認めることになります。もし、総会決議違反でなかったとするなら、辞任を認める理由がなくなり役員会への復帰を求めるか別の理由を設定しないと筋が通りません。
いずれにしても、当時の役員から総会決議事項違反という重大な指摘がでていることに触れずに臨時総会を強行するのは、あまりに不誠実ではないでしょうか? 
 
教会の不義を看過することはできません。
 
断固として現時点での臨時総会の開催に反対します。
 
念の為ですが、このままずっと将来に渡って、2週連続で100人を割る日が来ない可能性もありますから、会堂礼拝の再開は別の基準を考えたほうが良いのではないかという事自身は適切なことだと思います。十分な議論が尽くされ、その過程が記録、公開された上であれば、牧師に一任することもおかしいとは思いません。求めているのは、教会運営の正常化です。
 
本件に関して6月20日土曜日までに回答がない場合は、回答日である7月2日より前の私が適当と思うタイミングで⬛⬛牧師と役員会宛の公開質問状として会員各位に配布しますとメールさせていただきましたが、一切返信がありませんでした。その為、他に手段が見あたらずこうして公開質問状として皆様に配布する判断に至りました。会員の皆様に不快な思いをさせる事になってしまったことは忸怩たる思いですが、誤りは誤りとして認めた上で、望ましい道を進んでいくことを希望します。
 
萩原高行
 
(改ページ)
 
役員辞任は軽々に行うべきものではありません。忍耐力が足りないという批難を受けて当然とも思っていますが、思いつめた上での決断です。
 
もし続けて読み進めていただける方には、以下にその経緯と考えを記しますので、忌憚ないお考えをお聞かせいただければと思います。以降には、牧師と一部役員に対する批判が含まれていますので、望まれない方は先を読まずにお捨ていただきたくお願いします。
 
(改ページ)
 
萩原の意見の主文:
1. 2020年6月7日の会堂での礼拝実施は明らかな総会決議事項違反である。
2. その総会決議事項違反を行ったのは⬛⬛牧師である。
3. その総会決議事項違反を決定づけたのは6月7日に会堂で礼拝した⬛⬛役員である。
 
経緯:
(1) 5月24日役員意見交換会(今後の会堂礼拝に関する意見交換)
5月24日の時点で、過去2週間の新規陽性者判明数が100を下回り、5月25日に緊急事態宣言の解除が見込まれていたので、役員意見交換会をWeb会議にて開催しました。役員会としなかったのは、⬛⬛役員がオンライン参加ができないこと、他の役員の方にも参加に困難が伴う方がいらっしゃったためです。加えて、萩原の理解では、総会決議の内容に沿った履行を検討する内容のため、役員会としての議決は必要ないと考えたこともあります。
この意見交換会で、以下の合意がありました。
 
5月31日はオンライン礼拝で開催する。
6月7日から会堂での礼拝を開始するが、原則として公共交通機関を使わないで来られる方のみで集まることにする。
6月7日以降も当面の間、オンライン配信は継続する。
5月26日(火)17:00から会堂で⬛⬛先生が説教を行うイメージで、自宅にいる萩原といつものGoogle MeetのURLを利用して実験を行う。役員の方で実験に参加いただける方は任意で入っていただく。恐らく、リモート参加者の声を会堂に集まっている方に届けるのは難しいので、説教が届くことを優先して考えることとする。
6月14日の役員会は開催する。特に、総会について検討が必要で、選挙の実施あるいは現行役員の任期延長の判断はしなければいけな(ただし、どれだけ集まれるかは分からないので、参加者の確認なども必要)。なお、会計監査は⬛⬛さんの体調を考えると⬛⬛さんに頼むしか無いが、どのようにやるか考える必要がある(通帳と帳簿、証憑のスキャンがあれば遠隔でも可能かもしれない)。
オルガン奉献式は延期、オルガン教室は3密にあたらないため開催可能だが実際に生徒が集められるか、講師の希望にそうかは確認が必要。
 
5月31日は、総会決議の基準に照らせば再開が可能でしたが、⬛⬛牧師が6月7日に再開したいと強く主張されましたので、安全方向に倒した判断ですから「委細は⬛⬛牧師に一任する」とした総会決議に反しないものです。なお、意見交換会に参加できなかった役員から、なぜ開催しないことになったのかという軽い質問が出ています。ちなみに、萩原はこの時点で、⬛⬛牧師に対して、6月7日に礼拝が再開できると楽観視すべきでないと進言しています。
 
(2) 6月2日(火)の萩原からのメール
残念なことに萩原の予感は現実のものになりかかってきたため警告のメールを出しています。
 
⬛⬛先生、役員会の皆様
 
先週土曜日からの累積新規感染者数が66名となりました。
水、木、金の合計の感染者が34名となると閉鎖基準に達します。
 
ご参考まで。東京アラートが出た場合にどうするかは決めていませんが、私は緊急事態宣言相当と扱うのが適切ではないかと思います。
 

それに対して、⬛⬛牧師より以下の返信、萩原からの再返信がありました。

 

萩原高行さま

 
不安が残りますが7日はひとまず会堂で讃美歌なし、近隣の方たち限定でやりませんか。ただ、100人を大幅に越えたときは、急遽中止とする、ただし、私は会堂から説教するというのでいかがでしょうか。
⬛⬛⬛⬛
 

先生が会堂から説教するのは反対しませんが、100名に達したら、オルガニスト(と同居家族)を除いて無会衆で開催するのが良いと私は思います。

基準を恣意的に甘くするのは、良くないと思います。
 

萩原は、⬛⬛牧師は「 近隣の方たち限定でやりませんか 」、つまり(限定)再開と書かれているため、それは総会決議の 「委細は金井牧師に一任する」 の範囲を超えるとの指摘しました。背景には、⬛⬛さんから、既に準備もしているし、結構したいという強い申し出があったものと解釈しており、それを止めることは困難だろうと考えて、会衆を一切入れないのであれば会堂礼拝の再開ではないと言っても町の方に対して嘘をつくことにはならないと考えていました。

 
(3) 6月4日(木)の萩原からのメールと返信(⬛⬛牧師のみにあてたもの)
⬛⬛先生
 

先週土曜日から本日木曜日までの新規陽性者判明数は明日金曜日の数字を待たずに106(速報)となりました。

再開は延期が妥当と考えますが、いかがでしょうか?
---
 

萩原高行さま

 
ご報告ありがとうございます。越えましたか。金土でさらに増えるのは確実ですね。
3月とは少し情況が異なるので、他の役員の皆さんにも伺いましょう。私も中止が良いと思いますが、掲示もしてありますので、誰か来るとも限りませんので、土曜日夜までには教会に行き、配信は教会からと考えています(事務もありますし)。
私から皆さんにメールします。
 
⬛⬛⬛⬛
 
実は、萩原はこの時点で、既に金井牧師は6月7日の礼拝を強行する気ではないかと疑いを感じておりました。
 
(4) 6月4日(木)の役員会全員にあてた金井牧師のメール

皆さま

 
萩原さんからお知らせがあり、先週土曜日から今日までで、感染者が既に100人越えたそうです。金土でさらに増えるのは確実です。ついては、3月に申し合わせた通り会堂礼拝休止にすべきかと思いますが、いかがでしょうか?
もっとも、再開の掲示もしたので、誰か来るとも限りませんので、私は教会に参りまして、会堂から配信するつもりです。
やりきれない思いですが、ご検討ください。
⬛⬛⬛⬛
 

 

 
(5) 6月5日(金)の役員会全員にあてた⬛⬛牧師のメール

皆さま

 
 6月7日の礼拝について、皆さんの意向も伺いましたが、東京の今日までの一週間で130人に迫る感染者が報告されたのを受け、やはり休止したいと思います。
 恐れ入りますが、連絡網でご連絡お願いいたします。
 私は先週会員以外の方にも開始の連絡をしておりますので、念のため会堂に参ります。
以上、宜しくご確認ください。
 
私は、このメールで先生だけが礼拝堂に入るものと解釈して、回し電話をしました。
 

(6) 6月6日(土)夕刻のホームページのリリース案を検討する萩原のメール

金井先生から、明日は奏楽者を入れて礼拝を持つという話をいただきました。

もし、オルガン演奏が始まれば、教会の前を通った方はこれまでの閉鎖状態とは違うと感じると思います。
もし、そういう決断をするのであれば、文案を変えたほうが良いのではないかと思います。
 
私自身は、前週までと同様に閉館状態を続けるべきだと思いますが、⬛⬛先生の意向を受けて実施するとすると以下のような修正案でいかがでしょうか?
 
タイトル:6月7日の会堂での礼拝の再開は延期することになりました
サマリー:
再開の方向で準備していましたが、先週土曜日から今週金曜日までの新規陽性者判明数が126人と再び閉鎖基準の100を超えましたので、6月7日は牧師と奏楽者のみが会堂にいる状態でオンライン礼拝を継続することとしました
本文:
5月中のオンライン礼拝の参加者は30名程度と、通常の会堂での礼拝の参加者数とほぼ変わらない数になっていて、遠隔地からの参加や新規の参加者もあって感謝しています。一方で、普段参加されておられる方で技術的な問題などからオンライン礼拝に参加されない方もあり、会堂での礼拝の再開を求める声もあります。

5月31日は大事をとってオンライン礼拝で実施しましたが、再開基準は一旦満たしていました。そのため、6月7日から公共交通機関等を用いて遠くから来られる方には自粛を続けていただき、賛美歌の合唱は我慢するなどの安全策を取りつつ再開する方向で準備していましたが、先週土曜日から今週金曜日までの新規陽性判明数が126人と再び閉鎖基準の100を少なくない数字で超えてしまいましたので、6月7日はオンライン礼拝で実施することとしました。ただし、連絡が間に合わずに集まってしまう方があるかもしれないため、牧師と奏楽者は会堂でオンライン礼拝に参加することとします。

今後の再開については、別途アナウンスさせていただきます。閉鎖基準を決議した3月22日の時点とは、COVID-19に関して分かってきていることが変わってきていますので、教会の閉鎖基準についても見直すこともあります。慎重に判断してまいりますので、ご理解ご協力のほどよろしくお願いします。
 
6月5日に萩原は⬛⬛牧師と7回電話で会話し、「もし、オルガン演奏が始まれば、教会の前を通った方はこれまでの閉鎖状態とは違うと感じると思います。」について繰り返し伝え、もし、さらに会衆が参列したら完全に総会決議違反になると繰り返し警告し、もし強行するのであれば役員を辞任すると申し上げました。私以外の役員の中にも奏楽を入れることを反対していた人はいました。
最終的には、⬛⬛牧師は何と「萩原さん、これは政治です」(⬛⬛さんが⬛⬛さんのためにもどうしても開催してくれと言っている)と言い放ったのです。もはや、これ以上話しても無理と考え、上記のメッセージに「連絡が間に合わずに集まってしまう方があるかもしれないため、牧師と奏楽者は会堂でオンライン礼拝に参加することとします」という言い逃れができるような文章を自分の心とは異なるのにも関わらず作成して合意を得て掲載しました。私は、その時は、まだ⬛⬛先生は基本を会堂閉鎖においていると信じていました。しかし、事実は違ったのです。
 
(7) 6月7日の会堂礼拝の強行
実際には、⬛⬛や連絡が可能だった方にも自宅にとどまるようにという要請はされず、あろうことか経緯を十分に知っていた⬛⬛氏が礼拝に参加されているのを喜んでいる旨、礼拝前のGoogle Meetで表明しました。さらに、事後に賛美歌も歌ってしまったとおっしゃっていました。「牧師と奏楽者のみが会堂にいる状態でオンライン礼拝を継続」という言い訳可能な声明も経緯を知っている⬛⬛氏の参加によって完全に嘘になってしまいました。私は、ホームページにメッセージを書くことで、心ならずも教会の嘘に加担することになってしまいました。私にとっては耐え難いことでした。
萩原の辞任表明後の⬛⬛牧師のメールを引用します。
 

萩原高行さま

 
 私は会堂礼拝を強行したとは考えません。休止の上で、会堂から配信したということです。連絡不行き届きのため⬛⬛さん、⬛⬛さん、⬛⬛夫妻がみえたので、そのままいてもらいました。もちろん、スマホに自分が映っており、またカメラの位置の問題があり、つい前にいる人のを見てしまったのは申し訳ない思いです。
 ともあれ、表明されたことを重く受け止め、役員会で審議しなくてはなりません。いかなる形でも、実質的な議論をしたいと思います。
⬛⬛⬛⬛
 
外から見た目で会堂礼拝と見えるか否かに全く答えておらず、完全に自分の視点での真実だけで語っています。客観的に見て、嘘つきと言われても仕方がない行動を取っているのに、そんな事実はないと言い張るようでは、もはや、客観的な視点を失っているとしか思えず、抗議の意味で、事態が改善されるか奇跡が起きない限りオンライン礼拝にも参加しないと申し上げました。これは、非常に未熟な判断だと自分でも思っていますが、私には、牧師の暴走が許せなかったのです。
 
やってしまったことはなくなりません。ですので、牧師がどう言い張ったとしても会堂礼拝の再開の事実はなくなることはないのです。総会決議違反はあったのです。しかし、その背景には、何とかオンライン礼拝に参加できない方を救いたいという⬛⬛牧師の善意が基底にあり、⬛⬛夫妻にその方向でやるべきだと促されたことによってやってしまった事だと考えています。もちろん、⬛⬛夫妻も善意で行動したことに疑いはありません。しかし、事実は意図と関係なく事実です。だから、萩原としては事実は事実として確認した上で、正に「 実質的な議論 」をすれば良いと考えています。誤ってしまったことをなかったことにすれば、時に、そのちょっとの脱線がやがて取り返しのつかない過ちの種となります。
 
実質的なことを検討するためには、事実を大事にしなければいけないと思います。新型コロナウイルスは、依然として治療方法は見つかっておらず、高齢者の致死率の高い恐ろしい病気です。命を守るために総会決議を行って、会堂を閉鎖したわけで、置かれている状況は3月の時点と何ら変わってはいません。理論的には、高齢者比率の高い砧教会は人を集めてはいけないタイプの場所です。その前提に立った上で、今悲しい思いをしている会員の方やオンラインで再び参加してくださるようになった方のことをよくよく考えた上で、教会が運営されることを心より望みます。
 
残念ながら、現時点での⬛⬛牧師の視点は、事実に立ち戻って未来を考える視点になく、役員会もそれを止めることができる状況にないようです。⬛⬛牧師が、以前のように誠実に歩まれる日が来ることを願っています。とても、私には今の⬛⬛牧師に白紙委任するような今回の臨時総会を認める気持ちにはなりません。
 
このメッセージを発することで、途中サボった時期もありますが50年通った教会を去らざるを得ないことになるかも知れないと心が潰れそうになりますが、当時役員会書記を担っていたものとしては、その事実を皆様にお伝えしなければいけないと考えている次第です
 
長く、しばしば不快な内容をお伝えしてしまったことをお詫びします。
⬛⬛牧師と砧教会、会員の皆様の上に主の御恵みがありますことを祈ります。
虫の良い話と承知していますが、今でもなお、砧教会とつながっていたいと心から思っております。
 
萩原高行
 
追記
この後、結局不備が明らかだったのにも関わらずその事実すら知らせないまま第一回の書面総会が開催され、白紙委任が承認された。しかし、会計報告を当局に提出することもできず、役員もその身分を失っている状態なため、十分に委細が説明されることなく第二回の書面総会が実施され、役員の任期延長が承認された。その報告があったのが9月20日である。それによって「会員の総意によって」白紙委任もさかのぼって正当性が確立された。その事実を認識するまでは、良いことは必ずできる、自分が誤っている場合は筋の通った反論で納得できると思って、改善提案もだしていたが、改めて「会員の総意によって」牧師、役員会が信任されたことを理解した時に、私の心は砧教会から離れた。驚いたことに、その瞬間からもうどうでも良いと思うようになり、今は、少しも砧教会とつながっていたいとは思っていない。同時に呪う気持ちも全く無い。この世ではよくある政治劇の一つで、それはそれだけのことだ。砧教会は事件を忘れて歩みを続ければよいし、私は去ればよいだけだ。破門にしたければすれば良い。白紙委任に票を投じた人たちも事実が知らされていたわけではないから罪はない。牧師、役員は知っていて強行したのだから、そういう意味では罪人だが、政治的にはもう二度目の総会で禊はすんだのだ。この世で罰せられることはなく、後は、憶えているのも忘れるのも自由だ。もう、別れてしまった道だから、前を向いて進んでいっていただきたい。しかし、事実は消えないことは記しておく。
人の心の中は誰にも分からないが、私は牧師は少なくとも某夫妻に関しては、電話一本で6月7日の礼拝参加を止めることは絶対にできたと思っている。「連絡不行き届きのため⬛⬛さん、⬛⬛さん、⬛⬛夫妻がみえたので」という言い訳を信じていない。もちろん、人の心の中は誰にも分からない。心の底から連絡を忘れていた可能性は否定できないが、私にはどうみても嘘にしか思えない。本人がどう思っていたかは本人以外は知る由もない。6月7日に同席した役員が総会決議を守る意志があったかどうかも心の中の問題なので是非はわからない。しかし、牧師が当事者であるその役員に他の役員の意見集約を頼んだの事実である。外から見れば共犯を疑われてもやむを得ない行為である。まあ、今となっては、もうどうでも良いことだが、事実を記録するのであれば、それを私がどう解釈しているかは書いておきたい。私は、教会の規範に従って考えれば犯罪があったと考えたから抗議を行い、抗議が認められなかったので辞任を申し出た。抗議は、事実を認めた上で、罰は不要と判断して前を向きたかったので行ったことだ。
私からすれば、たったそれだけの願いは取り上げられることはなかった。そして、私の50年間強の砧教会との歴史は終わった。これから、古い家を出て、新しい旅が始まる。今は、かつての家の人々の無事を祈る。ひょっとしたら、どこかでまた出会うかも知れないがそれは神のみぞ知る。

コメント

金井美彦氏との会話を再開するにあたって2021年3月に一旦非公開にしたが、金井美彦氏によって対話は一方的に打ち切られ、その事実に基づいて砧教会役員に請願状を送ったが、それも受けいられることはなかったので、再掲することにした。

私の真実を求める戦いを再開することにしたのだ。