人間は物理的な存在だから、かならずどこかに居る

NYタイムズにAirlines Cash In as Flexible Work Changes Travel Patterns(フレックスワークが旅行習慣を変化させたことで航空会社は潤う)という記事が出ていた。

2013年に前職を辞し、ユビキタスライフスタイル研究所を立ち上げた。もう仕事は場所に縛られるような時代ではないと思ったからだ。現実的には場所にしばられないような業務は限られていて、2013年の時点で場所に縛られない時代は到来してはいなかった。しかし、必ずそういう時代は来ると確信していた。ただ、まさか疫病でそういう時代が来るとは思っても見なかった。

ICT技術はこの10年間で確実に成長してきている。メタバースも技術的にはそう遠くない時期に実用化の域に達するだろう。ロボット技術も進歩しているので自分の体の自由がきかなくなったりしても、遠く離れた場所にいたとしても、自分の物理的な影響力を代替させることは可能になるだろう。AI技術の進化に伴って、自分でなければできないと思っていたことの多くも、ソフトウェアに勝てないことを思い知らされることになると思う。喪失感はあるだろうが、より安全で安心な時代は来るだろう。

一方、自分の体は物理的な存在で、今は自宅でこの記事を書いている瞬間に別の場所にいることはできない。言い換えると、今ここにいるという体験は代替できないということだ。映画マトリックスの世界はその事実が幻想に過ぎないかも知れないと主張している。VRの時代はそういうものかも知れないが、マトリックスでも物理的な存在が覚醒するところから始まる。

映画の話はおいておくとして、個人的な経験を記録しておきたい。

私は、就職して最初の広島出張の時までは飛行機に乗ったことはなかった。1987年に出張でミラノ、イギリス、スコットランドに行くまでには日本を出たことはなかった。その後、多い時には毎月のようにカリフォルニアに通った時期もあったが、ニューヨーク赴任で異国の地に住むようになるまでは、自分はアメリカに住んでいる人がどういう風に考えるのかある程度わかっているようなつもりになっていた。しかし、短期間とは言え、実際に住んでみると見える世界は変わったのである。自分の物理的な存在であることから、場所が自分に与える影響を自覚した。自分の見える絵は、必ず歪むのだ。

コロナの影響とICT技術の進化で、多くの業務は場所に縛られなくて良いことを多くの人が知った。だから、単にリベンジ消費や実家への移動だけではなく、ちょっと別の場所で働いて見ようと思う人は増えた。その結果、今後ある程度長期滞在をしながら今の仕事を続ける人は増えるだろうし、新たな出会いが増えれば複業化は進むだろう。数年もすれば、移住する人も2つ以上自分の街と思える場所を持つ人も確実に増える。ヨーロッパでは、既に国を越えた移住・就労の自由が実現しているが、世界中でその動きは加速することになる。

物理的な身体を持つ自分にとって何を選ぶべきかが問われることになるだろう。

※画像はフィンランドのロシア国境につながる国立公園の景色。トナカイには国境は意味を持たないだろう。

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