FBから加筆・転載
2022年10月20日の日経朝刊に『三菱電機、追加処分へ - 役員10人、品質不正が拡大』という記事が出ていた。実は、ここ数日、円安の話が気になっていて、どうしてこんなにひどい状態になってしまったのか考え込んでいたのだ。私にとっては、就職した頃、80年代は第5世代校ピュータプロジェクトの時代で、世界中から人工知能の研究者が日本に来ていたし、様々な分野で勢いがあった時期で、これからどんどん豊かになるし、確実に世界のリーダーになるだろうと思っていた。大手メーカーも輝いていたし、商社も新規ビジネス立ち上げに金をつぎ込んでいた。日本の凋落はバブル崩壊から始まったとする人もいるが、どうもそれでは説明できないと思っていたのだ。今日、記事を読んでその原因はコングロマリット化に求めることができるのではないかと思った。言い換えれば、脱囲い込みが重要キーワードとなると思う。
以下は、FBの記事である。
三菱というブランドには強いイメージがある。私の中では、三井、住友という名前と結びついていて、3大企業グループとして記憶している。私が育った頃は日本が世界に進出していった時代でもあり、三菱商事、三井物産、住友商事あるいは三菱銀行、三井銀行、住友銀行という名前と結びついていた。一方で、三井、住友とは違い、三菱電機、三菱重工、三菱自動車といった製造業のイメージとも結びついていて、3大グループの中ではちょっと別格な感じがあった。
今振り返ると、私が生まれた1960年代に「BUY三菱」運動を始め、三井グループも住友グループもグループ内結束を高めていったが、ひょっとするとその動きが30年をかけて日本を弱体化させたのではないかと思う。グループ外に高い技術が出るのは当たり前のことだし、新興事業がグループ内で生まれるものと考えるのは異常だ。つまり、戦後の財閥解体後のグループ企業の再集結は自由競争の可能性を削ぎ、じわじわと国を蝕んでいったのだと思う。
もちろん、グループ内で保管しながら競争に勝っていこうとする活動は短期的には有利に機能する。規模はリスクを下げる。一方で、権力の集中を進めることになり、硬直化が進む。大きい組織だからこそ都合の悪いことが隠蔽されやすくなる。体力があれば、隠蔽できる時間が長くなるからその間に是正できれば良いのだが、リスクが具現化した時の影響は大きい。本当は組織の大小に関わらず情報の透明化が高まる方向に動かなければ明るい未来はこないと考えるべきだろう。
恐らく個々のブランドの問題ではない。日本は覚悟を決めて構造改革に踏み出さないわけにはいかない時期を迎えていると思う。アベノミクスの金融緩和で挑戦を容易にしたことで、ひょっとしたらこの博打で日本は復活するかも知れないとかすかな期待をしていたのだが、実際にはそんなことは起きなかった。異質なものを排除してしまう体質に勝てなかったということだろう。
本当に強い国は、権力が集約された国ではないだろうと思う。