自分のアクティビティを知る

テレワーク協会の研究部会に関連して、自分のアクティビティを見直している。

従来は、業務アクティビティのトラッキングに関心があって、プロジェクトとタスクをコード化したり名前をつけたりして計測し、その他はその他として考えていた。せいぜい、睡眠時間を記録する程度だ。ある程度細かく取ったこともあるけれど、記録が面倒だから長続きしない。具体的にはtoggl.comのtoggl trackの無料枠で記録している。

アクティビティの分類はかなり難しいが、昨日までの1週間を記録したのが冒頭の画像だ。

大分類を、生活、読書、SNS、事務、ULSL(自社の業務)、研究会、宗教活動、テレワーク協会関連としてみた。寝ている時間、食事、身支度や家事、買い物や散歩、TV・ビデオ録画視聴は生活に含めているので、1日の3分の2を占める。最近は概ね1日10km歩いているので、まあ納得感がある。また、上の棒グラフにあるように何をやっているかつけていないある意味ぼーっとしている時間も1日に3時間から8時間ある。

読書にはWebサーフィンを含めているが、目的がはっきりとした調査の場合は、社の業務や研究会などの一部として記録している。この時間が約8%と大きい。SNSはこのBlog記事の執筆も含むもので、下書きを含め自分の頭の中にあることを整理して書き出す時間を表している。これは読書とほぼ同等で8%。面白いと思うのは、読書にかける時間とSNSにかける時間がほぼ同等であることだ。ちなみに、新聞を読む時間も読書に含めている。

研究会には、書籍執筆、Meetupの資料作りなどを含めていて、これも約8%。今は、Drupal本を書いたり共著者の原稿を読んだりしているので普段より高い値になっていると思うが、いつも何か体外活動をやっているので0になることはない。

何と、プロジェクトワークを含む業務時間は円グラフでグレーになっているその他の10%の一部でしか無い。つまり一日あたり2時間程度しか執務していないことになる。これは結構衝撃的な値なのだが、1週間でなべれば多くても2割・5時間/日に達することはほとんどないだろう。ああ、今日はよく働いたという日も待機時間や休憩時間を除けばまずアウトプット業務で1週間4時間以上を超えることはない。

一方、この分類の読書、SNS、研究会活動を削れば、必ずアウトプット業務の質は下がるから、何を自分の稼ぎに関わるアクティビティと考え始めると悩ましいものがある。散歩中は結構仕事のことが湧いて来たりするので、生活に分類している時間も稼ぎと無関係なわけではない。会社勤めの頃であれば、通勤時間は段取りを考える時間でもあった。

私の場合の特徴的なのは、宗教活動に約3%をかけているところだろう。オンライン礼拝への参加、新生活Blogを書くにあたって、調べごとや自分の考え方をまとめるのに週4時間弱を使っている。もう2年近くになるから200時間は以前と異なる時間の使い方をしていて、自分の価値判断にそれなりの影響を与えている。

経営の観点に立つと、アウトプット業務の質が本質だ。しかし、健康でなければ同じ時間がそのアクティビティに投入されたとしても同じ成果は得られない。また、従業員の能力向上、時代変化への対応が進まなければ相対的な競争力は落ちるから、私の分類で読書の時間を減らせば長期的には不利になる。今日のキャプチャには出てこないが、勉強会というアクティビティ分類を用意していて、コワーキングスペース等でのイベント参加はそれにつけるようにしている。読書と同様の重要アクティビティでどちらかが上がるとどちらかが落ちる傾向がある。Learning from othersだ。ワークスタイルデザインという観点に立つと、経営側は従業員に対してどうバランスを取らせるかの巧拙が業績に影響するし、生活者側から見ると、アウトプット業務の生産性向上に資するか否かより、自分の人生をトータルで見た時に資するか否かの方が重要である。

学校や教育機関、あるいはコミュニティは、属する個人のQOLの極大化が使命となる。どの程度の期間を念頭に置くか、どこに価値を置くかはその組織に依存するものだろう。例えば、右傾化する前の旧教育基本法では

第1条(教育の目的)
  教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

と書かれている。自主的精神に充ちた国民の育成が期されている。自分で考える人が目指されてきた。現在の教育基本法では、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」の獲得が目指されることになっていて道徳心を重視、権力に従順であることが目指されるように変わった。その前から、自由は重視されなくなっていて、新しいものが生まれない国につながっているのだと私は思っている。

英語学校なら、英語が使いこなせるようになることが目標になるから、極論すれば人格の完成などどうでも良い。

キリスト教組織は、明確に福音(伝道)をミッションとしているので、極論すれば信徒の幸せなどどうでも良い。もちろん、英語学校のような短期の目標ではないので、持続性がなければならず、信徒が幸せになれなければ継続は叶わない。

コワーキングスペースあるいはコワーキングコミュニティでは、コワーカーの満足度が重要となる。コワーカーの成長に資する環境が提供できなければ持続性はない。設備で提供できるものもあれば、コワーカーが相互に提供し合う価値でなければ満たせない効果もある。企業がオフィスで提供してきた価値は、時代の変化とともにアンバンドルされつつある。

企業でやれることは限られているが、長い目で見れば、多様性の高さが競争力に影響しているのはほぼ間違いないと思われる。一般的には、黎明期から成長期は組織は柔く、外の力を積極的に取り込まなければ伸びることはできない。そして、一定の成果が出せるようになると少なくない組織は閉鎖的になって成長が止まる。閉鎖的になる前に蓄積した能力が大きければ衰退に至るまでの期間は長くなるが、学ぶ力が落ちればやがて凋落する。企業にとっても自主的精神の育成は重要で、企業においても権力を指向する人は専制の罠に陥りやすく、それが短期的なパフォーマンス向上に資する例は多い。

企業は、生活者が有する時間のごく一部からしか業績に貢献してもらう余地が無いことを直視しないといけない。

生活者は、アウトプット業務に使われる時間がごく短いことに気がつくべきで、アウトプット業務の質を向上させる仕入れの時間は、複業であっても応用が効く。自主的精神で自分の行動をデザインする時代に移行する時期が来ていると考えるべきだろう。ただ、社会、慣習はすぐには変わらない。急ぎすぎれば失敗確率は高まるが、早い挑戦が先行者利益につながることもある。少なくとも、権力者の顔色を伺っている人ばかりでは未来が拓けることはない。