今日2022年7月6日の日経新聞朝刊一面に『海渡らぬ日本の若者 欧州「エラスムス世代」留学で鍛錬』という記事が出ていた。
エラスムス世代と聞いてもピンとこないが気になって調べてみたら、35年前にできたヨーロッパ大学間交換留学制度ERASMUSのことは、日本語Google検索でも結構引っかかる。概要理解には『世界最大の交換留学プログラム「エラスムス」 〜「エラスムス」世代が闊歩するヨーロッパの未来』が有効だった。
名前を聞いたことがある程度だったデジデリウス・エラスムスのWikipediaにも目を通した。
エラスムスは、1529年の『幼児教育論』で、子供といえども一個の人間であり、かかる存在として扱うべしと説き(手間、時間、金など)、中世以来続いてきた鞭による非人間的で、容赦のない教育を非難した(体罰は行うべきで無い)。それは、自由人にふさわしい教育方法とは言えず、人間を奴隷化するものだとした。人類の歴史上最初の、最もはっきりとした子供の人権宣言である。
と書いてあった。約500年前にそういうことを言っている人がいたのかと驚いた。
記事『世界最大の交換留学プログラム「エラスムス」 〜「エラスムス」世代が闊歩するヨーロッパの未来』では「2016年のユーロバロメーターの数字をみると、24歳以下の77%がEU市民だと(自覚し)回答しています(55歳以上は59%)(Nuspliger, 2017)。」とある。これは私の個人的な感覚に一致するが、同時に年齢に関わらず5%程度は強いナショナリズムに立つ人がいて、強固なだけに影響力がある。自分たちがうまくいかないのは外国人のせいだと煽るのだが、エラスムスプログラムの恩恵を受けた人は民族や文化の違いがあってもお互いに学ぶことができ、多様な接点が自らの成長に良いと感じた経験を忘れない。現実的には無意識な差別は多々あるから、多様性の尊重には忍耐が伴うことも理解している。コワーキングの世界では女性や、異国から移住してきた人が輝いている。
私は、欧州のコワーキングシーンに魅力を感じてきたが、恐らくそれとエラスムスプログラムは無関係ではない。
日経の記事で、日本人海外留学生の少なさに触れられている。私は27歳まで日本を出たことはなかったのだが、最初の出張時にミラノで差別を経験し、エジンバラで暖かく迎え入れられた経験が私のその後の人生を変えた。新婚旅行の頃は、電車での移動は国境毎に止められてパスポートコントロールがあったが、やがてシェンゲン圏内の国境は過去に検問があった形跡が残るケースもあるが、日本の区境の標識程度のものになった。
出ていくことにも、受け入れることにもストレスは伴う。日本でも、自分の足で外に出て、成長する人が増えることを期待したい。海外留学と言うと私はアメリカ留学あるいはイギリス留学を想起する古い世代だが、それでも行った先で多くの国々から人が集まってきていて刺激を受けたという話を何度も聞いた。海外留学はその国に学びに行くだけではなく、そこに集まる多様な人達に触れ合うことに意味があると思う。鎖国的な政策で、国際交流が不活発な状態を放置すれば、じわじわと時代から取り残されていくことになる。開いていない組織に未来はない。
※画像は、wikimedia - Portrait of Erasmus of Rotterdam (1523) by Hans Holbein the Youngerから引用したもの