毎日新聞から「ヒトラーと一緒に昭和天皇の写真 ウクライナ政府が動画から削除、謝罪」という記事が出ていた。
ロシア政府がウクライナでやっていることで、教科書をウクライナ語からロシア語に変えた話などがでているが、それはかつて日本が中国や朝鮮でやっていたことだ。当時天皇は現人神だったので、拝むことが強制されていた。この時期にウクライナ政府が昭和天皇を批判するのは政治的にマイナスだと思うけれど、日本があの戦争で何をやったのかを思い出すことには意味があると思う。言語の強制と崇拝の強制は決してやってはいけないことだと思う。外から見れば、昭和天皇は明らかに責任者だ。私は昭和天皇が戦争犯罪人として処刑されなかったことは良かったと本心から思っている。
ロシアの人々が、ロシア政府が決してやってはいけないことをしてしまったのだと心の底から思って、善良な世界市民として平和な未来に貢献してもらいたい。プーチンが模範的な市民に変わればそれに越したことはない。政治的な権限は全て停止されて当然だが殺されるべきだとは思わない。
私は、天皇を元首に位置づけようとしたり、侵攻可能な武力を持とうとしたりする前に、今一度日本がかつてやってはいけないことをやってしまった事実に正面から向かい合わなければいけないと思う。戦時に生まれていなかった個人に戦争責任はないが、国家が存続している以上、かつてやったことはなかったことにはならない。罰を受けても罪は消えない。決してやってはいけないことをやれるような国に変えてはいけないと思う。
現実には、どこにでも自分達は特別と考えたい人はいるし、力で問題を解決しようとしてしまう人はいなくならない。だから、綺麗事では済まないが、せっかく「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣誓して善良な世界市民になるべく再出発したことを思い出して「自国のことのみに専念して他国を無視」することなく、できることをやり、やってはいけないことをやらないようにすべきだと思う。
この動画でウクライナ政府は政治的には失敗したと思うが、日本の人たちがその画像を見て怒ってしまうとしたら、自分達は道を踏み外しかけていると気がつくべきだと思う。油断大敵である。どこの国も紙一重で堕ちかねない。堕ちれば、不幸が待っている。堕ちてしまったら救いの手を差し出したほうが良い。専制と隷従は廃されなければならない。
※Facebookに投稿した記事を加筆編集したもの