Activity Based Workingの粒度が細密化すると現行の法制度は機能しなくなる

hagi に投稿

スタートアップの創業者あるいは創業チームメンバーには公私の区別はほとんどない。本当に走らなければどうにもならないタイミングは、公私の全てをスタートアップにかけることになる。もちろん、育児をしながらのスタートアップもあれば、様々制約を一人ひとりが抱えている。だからこそ、隠し事なく助け合わないとチームを維持することはできないし、ちょっとしたことでスタートアップは崩壊する。

それは、特殊なことで、ごく限られた人にしか当てはまらない事態だと考えてきたのだが、実はそういう状況に置かれている人が相当多くなっているという事実に今日気付かされた。多くの働き手が公私の区別が困難になっているのだ。

非常に簡単な例で言えば、在宅勤務をやっていると昼ごはんをなんとかしなければならない。従来の感覚だと、昼ごはんをお弁当にするなら、出社前の個人の時間を使って準備したものを持っていってオフィスで昼食休憩時間中に食べるということで、全てが私事となる。少なくない働き手が家族(多くは妻や母)の力に頼って食事にありついている。しかし、共稼ぎで共に在宅だと準備も片付けも全部妻に頼っていれば、妻はたまったものではない。どうやって助け合うかを考えていくしか無い。

さらに子供が在宅勤務中に帰ってくる。保育園や学童の送り迎えも大変なことだったが、コロナで預け先が休止することも起きる。二親が在宅しているのに、子供が家に帰れないというのも親子両方にとって辛いことだろう。特に都市部では、住んでいる家も、家族がいつもみな家にいるような前提にはなっていない。

実は家庭がスタートアップ化しているのである。

子供の受験時期を迎えていても、2人の親が在宅でWeb会議を並行してやらなければいけないタイミングもあるし、家族に陽性者が出れば一気に景色が変わってしまう。何とかして事業継続を目指していくスタートアップと変わらないのだ。

オフィス勤務を正として、妻が家庭を守って子供のことは妻任せという昭和の価値観が通用していた時代の制度はどう考えても時代に合わないのだが、保守派は何とか、解釈の拡大などで既存の制度で回そうとしている。しかし、どう考えてももう破綻しているのだと思う。保守は亡国だ。

職場、現場も危機に瀕している。突然濃厚接触者になって出社できない人も出るし、陽性になって出られない人もいる。皆が出社できることが「常識」と考えている職場は現実には破綻しているのだが、そもそも法制度がその幻想の常識に基づいてできているのだからたちが悪い。出社基準の緩和とか、休校基準の緩和とかを主張している人は現実を見ろと言うが、私はそういう経済学者や政治家は自分の頭にある幻想に現実を合わせようとしているとしか思えない。出社基準を緩和しなくても回る方法、休校基準を緩和しなくても回る方法を考えなければ環境変化に対応することはできるわけがない。昭和の時代の常識を現在に当てはめようとするのは馬鹿げている。まず、事実を包み隠さず開示することから始めるのが良いだろう。

在宅勤務で光熱費が上がり、テレワーク手当では割が合わないと家族に怒られている人の話も聞いた。テレワーク以外にもエネルギー費用の高騰もあるとは思うが、今の制度ではリモートワークが進めば、採算管理の責任は企業から生活者に移っていく。家計に注目している人から見ると、テレワーク手当の合理性が無いことは見えてしまうのである。

経営者が、個人、生活者の視点で見ると、ちょっと我慢すればオフィスを構えるよりコワーキングスペース、シェアオフィスを使えば安くつくと考えればそういう選択をする。運命共同体と思っているスタートアップの創業メンバーであれば、公私の区別はないので、耐えられれば不快も耐える。家族も運命共同体だから同じように頑張るが、耐えられる限度はある。家族と所属法人の2つのコミュニティに属している人と、家族を重視している人が見える世界は違うから、その無理解が度を過ぎれば家族も破綻する。

いくら国粋主義者が幻想を撒き散らしても、国を元首を頂点とする支配の構造で管理する時代は既に崩壊しているのだ。

情報化時代は管理可能な粒度がどんどん小さくなってくるのだから、付加価値を産むアクティビティ(業務タスク)とそれを生み出すリソース(人かソフトウェア)の最適化を促進できる制度を作る国際競争の只中にあることをごまかしてはいけないのだと思う。

日本テレワーク協会のサードワークプレース研究部会のサブリードをやっていて本当に良かった。しかし、気がついた以上、戦わないわけにはいかない。