昨日、地域創生とリモートワークの事を考える機会があってふと「リモートワーク 求人」でググってみた。
その結果、Indeed、En、Doda、リクナビ、タウンワークなどが出てきた。その中からIndeedを選ぶと325,628 件の求人があると書かれている。つまり、地元で仕事が見つからなかったら、外に目を向けると無数の仕事があるということを示している。もちろん、筋の良くない求人もあるし、条件の良くないものもある。しかし、可能性は確かに激増するから、リモートワークは高度成長期の上京と同じ意味をもつ。地元に仕事がなければ仕事のあるところに行こうと考えるのは自然なことだ。
ちょっと引いてみれば、生活者がリモートワークのスキルをつけると、通勤可能な企業とリモートワークで稼げる企業を天秤にかけて道を選べるようになるということであり、企業がリモートワーク受け入れのスキルをつけると、通勤可能な従業員とリモートワークで働ける地域に依存しない働き手を天秤にかけて選べるようになるということだ。
もちろん、エッセンシャルワーカーなしに社会は維持できないし、人間は物理的な存在だから、その居場所で飲み食いするし、寝場所も必要となる。リモートワークではやれないことは山ほどある。一方で、場所に依存する仕事をよく見直すと100%の時間が拘束される必要のないケースは少なくない。企業側の能力が問われる部分でもある。
個人から見ても、起業から見ても、リモートワークを活用できる能力が将来を大きく左右するのは間違いない。
リモートワークが進むと雇用関係は被雇用者の一部の時間を買うという形に変わっていくだろう。シフト時間という概念がある(エッセンシャルワークを含む)仕事の場合は、そこに値段がつき、時間や場所に縛られないタスクはそのタスクに対して値段がつくようになるだろう。まとめて8時間拘束というような形態はリモートワーク時代にはそぐわない。IT化が進んでいなければ、細かい管理ができないので、シフト勤務報酬、タスク(成果)報酬を計算できない。労働関連法規も技術の進化に対応できていないので潜在力を顕在化できない状況にある。
管理が難しいから禁止するという選択を続けていると、既得権益を守れたとしても国際競走から脱落してしまう。
大きく捉えると、政府→企業→個人を所属関係で考えるモデルが限界に達しているのだと思う。今の言葉で言えば、全ては非正規雇用に向かう。所属関係に基づく雇用を正規雇用と呼び続けるのは馬鹿げていると思う。これは家族についても同じで、個人が家族に所属するというモデルは間違いなく崩壊する。家族という実体は存在しない。家族は個人の関係に名前をつけたものに過ぎない。振り返ってみれば、企業のことを法人と呼ぶが、法人は実は実体を持たず雇用関係や権利関係を集約するために名前を与えたものに過ぎない。紙と鉛筆の時代には大量にある関係を安価に管理する方法がなかったから、所属関係を用いて間接管理を行うことに合理性があったが、現代の技術水準ならむしろ間接管理の弊害が目につくようになる。
まず実体に注目すべきで、マイナンバー制度の見直しを行って、企業が必要な範囲で自由に使えるようにしないといけないと思う。健康保険を含む健康管理も現在の間接管理だと複業に対応できない。個を中心に据える体系に移行しないわけにはいかないだろう。
個人にとっては、スキル、アクティビティの自己管理が重要になり、企業にとっては、業務アクティビティ情報を従業員と共有できるようにしなければいけない。リモートワークでZoomを使えると言った技術スキルは重要だが、仕事という概念そのものが変化しつつあることに気がつくべきときが来ているのだろう。