テレワークは手段であることを忘れてはいけない

hagi に投稿

今日、メーリングリストで「「テレワーク東京ルール」実践企業宣言運営事務局」から、東京の「テレワーク・パワーアップ作戦」のリンクが届いて開いてみた。テレワーク推進は歓迎なのだが「テレワークの総点検チェックリスト」PDF形式新しいウインドウを開きます(636KB)を見てがっかりした。確かに、週N日のテレワーク実績と来月はM日にする目標設定を行うのはありだとは思うのだが、テレワーク日数の計測は代替指標に過ぎないことを忘れてはいけない。

今のテレワーク目標は、新型コロナの感染防止を行いながら、経済を止めないための施策である。もう少し長期的には、育児や介護などの様々な制約を背負っている人が無理なく働き続けられることによって、その方にとっても社会全体にとってもよりよい未来を作るための施策であり、より長く見れば、企業や地域、国の呪縛から自由になって、今より明るく、個人にとって幸せの多い社会を実現するための活動だと思っている。

やらないと理解できないから、無理矢理でもやるというのはあって良いけれど、それでも「なぜ」やるのかを書かなくちゃ駄目だろうと思う。そういう意味でチェックリストは残念なできだと思う。

目標が設定されると、それを達成することが目的になってしまうことがある。私自身もそうだ。自分で自分の目標を設定するときには、その背景には必ず目的がある。例えば、健康を維持するために一日の歩数の目標を仮設定しても、それが達成できないと悔しいと思うようになる。一歩間違えれば健康を維持するために立てた目標によって健康を失いかねない。

キーワードは「なぜ」だ。

私はクリスチャンを自称していて、自分はできるかぎり良いキリスト者でありたいと思っている。しかし、前提には自分が良い人間であるということはどういうことか、どうやれば幸せになれるのかという問いを探っていた現実を忘れてはいけない。それは、世間や教会で敬われるかどうかは関係ないし、ましてや人を導くことなどできるわけがないのだ。やれることは、良いと思うことをやり、やるべきでないと思うことを避けることだ。そのバランスがあるから唯一の解などありはしない。

「なぜ」自分はどの道を取るのかを自問し続けるしか無い。