砧教会役員会に向けて請願書を送ったがゼロ回答だった

hagi2021/09/27(月) - 11:51 に投稿

当初は10月1日に投稿するつもりだったが、2021年9月26日に請願書が取り下げられたという解釈に異論が出なかったので、今日掲載することにした。

送った請願書は以下の通り。

砧教会役員会御中

事実調査のお願い

2020年6月7日の金井美彦氏による会堂再会強行から1年余が経過しました。電子メールによる再三の調査依頼、金井美彦氏との事実確認の試行にも関わらず一切事実が明らかになっていないだけでなく、金井美彦氏からは経緯を振り返るつもりは無いという拒絶の申し出を受け取っておりますので、改めてまずは砧教会役員会に請願を提出させていただきます。

以下の事実について調査を行い、書面にて回答をお願いします。

1. 金井美彦氏は2020年6月7日に2020年3月22日総会で決議したCOVID-19に対応した閉鎖基準に反し会堂に一部会員を迎え入れて礼拝説教を行った。また、総会決議と反したことを会員に公表しないまま1年以上に渡って運営を続けている。これは会員に対する背信行為であり、日本基督教団教憲第7条の「本教団の所属教会は、本教団の信仰告白を奉じる者の団体であって、教会総会をもってその最高の政治機関とする。」に反するものである。

2 金井美彦氏及び2020年6月7日時点の役員は萩原高行から2020年6月5日以降繰り返し総会決議違反であると指摘を受けていたが、総会決議違反であることを認めず、結果として萩原高行を孤立状態に追い込み砧教会での居場所を奪った。正統な指摘を受け入れず萩原高行に多大な精神的被害を与え続けている。

以上の請願があったことを会員各位に開示の上、2020年6月7日時点で役員でなかった第三者を3名以上含めた委員会を設置して2020年3月22日の教会総会議事録に基づいて厳正な調査を行い、報告書を作成して会員各位と萩原高行に対して開示いただきたくお願いします。また調査を行わない決断を行った場合は、その旨書面にてご回答下さい。2021年9月末日までに何らかの意思表明がなかった場合は、調査を行う意思がないと表明したこととみなします。請願が取り下げられた場合は、本請願書を任意に開示しますので予めご承知おき下さい。

以上

2021年8月16日

萩原高行

追伸

なお、萩原は本年度の役員交代の通知を受けておりませんので、本文書は2020年6月7日時点の役員にお送りします。もし交代されている場合は、新役員にお伝え下さい。

返信は以下添付スキャン(PDF)の通り

「その結果萩原さんのお問い合わせの件に関しては、すでに2020年役員会としての考えをお伝えしている通りで3人の方からも異論はありませんでした。」とあるが、そもそも文書に書いたものはもらっていないので何をもって3人の方の合意を取ったのかがわからない。手元にあるのは以前K氏からの2020年6月25日のメールで「あくまでも教会としての特別措置であって再開ではなかった。また、総会の決議違反でもなかった。」というもの。さらに再確認で「6月7日は牧師としての判断、教会学校校長としての判断で会堂に数名がいただけの事です。会堂再開ではありません。」と牧師を含む当時のメーリングリストで発信している。つまり、会堂再開はなかったというのが公式見解ということで、再開はなかったのだから、総会の決議違反でもなかったという組み立てだった。ちなみに「萩原さんが牧師と相反する主張を仰っているが、どちらが正しくて、どちらが間違っていると言う結論も出せす(ママ)ことではないと、意見が一致しています」とも書いてある。つまり、事実は追求しないというのが役員会の判断と言うことになる。事実を判断しなければ牧師の意見が正になるのは当然だから、最初から事実ではなく牧師を正とするという結論ありきなのだ。

その結果、当然牧師の主張に基づいて行動が行われることになるのだから、正に彼らは私を抑圧しているに等しい。結論を出さないのが役員会の姿勢であれば、役員会は当時も今も本件に関しては機能停止に陥っていることを宣言していることになる。当時のメールでも私は「事実がどうだったのかを確認したいと主張しているのです」と書いている。役員数名がメールをさせていただいたと書いているが、当然事実を明らかにするような内容は皆無で私は正常化を求めたが無駄なあがきであった。この過程で事実探求に応じてもらえないため感情が高ぶって不快な思いをさせてしまったのは本当に申し訳ないことだと思っている。ただ、事実に向かい合って欲しかったし、その気持は今も変わらない。「萩原さんが牧師と相反する主張を仰っているが、どちらが正しくて、どちらが間違っている」かを明らかにしない限り出口はないし、残念ながら役員会は今も機能していないと言うしか無い。

改めて読み直すと2020年6月25日のメールでK氏は「萩原さんが間違っているなんて、誰も言っていません」とも書いている。当時から、私が総会決議違反であるとしている主張を否定する根拠はなかったということと解釈している。あれば、論理的に指摘されていただろう。思い切って捨象すれば牧師を守るためにお前は黙っていろという解釈となる。その結果「あくまでも教会としての特別措置であって再開ではなかった。また、総会の決議違反でもなかった。」という結論としたのだろう。それは、正に村八分だ。激怒した。K氏は「それ(判断しないこと)をもって、教会を去って欲しいと、どうして思われるのですか。そう思われることが悲しいです。」と書いている。それは本心だと思うし、善意を疑わないが、多数をもって弾圧されたと感じた私にとっては絶望でしか無い。繰り返しになるが、「2020年役員会としての考え」は最初から事実ではなく牧師を立てるという結論ありきだったのだ。この態度が「正義」だから上から目線に立てる。もちろん、絶縁状(砧教会から絶縁状をもらった参照)についても役員が絶縁状のつもりで書いたのではないのは理解しているが「今後一切メールはお控え下さい」と書いてあるのは事実である。虐待されたものの叫びは届かないのだ。私の表現がエスカレートしたので自業自得ではあるが、そもそもは当時の役員が事実を取り上げず、判断を行わず「あくまでも教会としての特別措置であって再開ではなかった。また、総会の決議違反でもなかった。」を答えとした。読み返すと怒りと悲しみが満ちてくる。その思いは今も変わらない。論点が曖昧になると思い問2には含めていないが、当時の役員各位によって今も多大な精神的被害を受け続けていると感じている。悪意はないのは承知しているが、事実に向き合ってどういう答えになるかは別に「萩原さんが牧師と相反する主張を仰っているが、どちらが正しくて、どちらが間違っている」かを明らかにして苦しみから開放してもらいたい。申し訳ないが、役員各位は今も「いじめ」を続けているのである。あなたが言っていることは間違っているとは言っていないが牧師が言っているのだからそれが正しいのだという態度をどうやって受け入れればよいのだろうか。「教会を去って欲しいと、どうして思われるのですか」という無邪気な感想がより心をえぐっていることに善意の主流派は気がつかない。それは自分の真実を捨てろと言っているのと全く変わらない。何が、砧教会をそんな場所にしてしまったのだろうか。いずれにしても責任は代表者である金井美彦氏にある。しかし、金井氏をそういう存在に育ててしまった原因は2020年6月に「2020年役員会としての考え」を作った人たちにもある。そこで判断から逃げたことも、現在の不幸につながっている。

また当初の話し合いでは、書記役員が取りまとめていたのに総会議事録の確認さえされなかったと聞いている。もし、それが事実であれば、「2020年役員会としての考え」は「2020年3月22日の教会総会議事録に基づいて厳正な調査」という要求にも適合しない。事実確認を避けるということは、それが不都合だと考えている人がいるということだ。それが誰かはともかくなぜかは知りたいと思う。常識的に考えれば事実が明らかになって困るのはまず金井美彦氏だ。そして、「2020年役員会としての考え」を取りまとめた書記役員もそうだ。せめて、残りの役員には事実と向かい合っていただきたい。

一方2021年9月26日に金井美彦氏は再開はあったと明言している。その一点をとっても「2020年役員会としての考え」と矛盾している。現時点では金井美彦氏も萩原も2020年6月7日に会堂再開はあったという点では意見は一致しているのである。「会堂再開ではありません。」という主張は金井美彦氏によって否定された。当然、再検討が必要だろう。金井氏自らが会堂再開を認め、閉鎖基準は機械的に計算できる数値で抵触は明らかだから、どういう根拠で総会決議違反はなかったという結論を導くことができるのだろうか。私には総会決議違反はあったという結論以外思い当たらない。異論がなければ、総会決議違反があったという事実に基づいて善後策を講じていただきたいものだ。

加えて言えば、回答にある「会堂を閉めるとしてとしても、喜んで受け入れるのは当然」は一見正しく見えるが、そもそも閉鎖基準は感染防止のために設定したものだから、それに照らして言えば「喜んで受け入れるのは当然」ということにはならない。もちろん、心情的には共感する。牧師が礼拝を実施していてオルガンが鳴っていれば受け入れを拒否するわけにはいかない。だから、会堂を閉鎖したのであって総会決議の含意に反している。会堂で礼拝をやるから生じる問題である。こういう論理のすり替えは止めていただきたいものだ。

単に正々堂々と表玄関から総会決議を見直し、新しいやり方を決めればよかったのだ。私はもちろん猛反対しただろうが、役員会で多数決を取れば総会付議はできただろう。裏口を使うからこじれるのだ。役員が裏口から入るようなやり方を進言するのは感心しないし、それを金井美彦氏が取り上げたことが今の現実を招いているとしか私には考えられない。

精算して、再出発することを推奨したい。「最初から事実ではなく牧師を立てるという結論ありき」が事実なら、それは独裁体制そのものである。独裁者は作られるもので、私は教会は絶対手を染めてはいけない行為だと思っている。どれほど魅力的であろうと頼りにしたくても、事実に基づく判断を捨ててはいけないと思う。2020年6月7日よりいくらか前の金井美彦氏にはきっと賛同していただけるのではないだろうかと思っている。

コメント

歴史にもしは無いが、もし昨年6月に佐分利氏以外の役員がもうちょっとちゃんと考えてくれていたら、現在の苦難はなかっただろう。みな善意に満ちていて、誠実な人たちだ。決して、頭ごなしに私を否定したりしていない。しかし、事実には向かいあうことには耐えられなかった。そして時間が経てば、日常が降り積もり、単なるノイズになっていく。老獪な彼は今どう考えているのだろうか。自分の行為は正しいと信じて疑っていないのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

教会は小さな独裁者を生みやすい体質をもともと有している。そそのかす者が現れれて囁きが心に入ってしまうと、容易に止まらなくなる。母は、牧師と戦っても絶対勝てないから止めなさいと私を止めたが、私はもともとの性格に加えて役員としての使命感とコロナに対する恐れがあったために戦い始めてしまった。教会員は金井美彦氏に満足しているから、私は敬愛する牧師を貶めるものか敵か狂った憐れむべきものとなる。

勝ち目はなくても、この戦いを止めるわけにはいかない。