しばらく後で振り返るであろうことを考えて書いておく。
NHKが「政府 4府県「宣言」追加 5道府県「まん延防止」適用を諮問」という記事を出している。2021年7月12日から8月22日までの緊急事態宣言が8月31日まで延長になった。最初に出されたのは2020年4月7日で、今回は4回目。今回の延長は政府がオリンピックを強行したことで起きた人災だと考えるのが適切だろう。1回目の発出遅れもオリンピックの影響だろう。
肌感覚としては、東京で8月22日までの休業を決断した飲食店にとって、今回の延長はとても残酷な仕打ちに見える。できる限りの人流停止を行っていれば1ヶ月後(8月12日頃)には明らかに感染数は下がり、8月22日でもフルオープンなど望むべくもないが、恐らく再開は可能だっただろう。今回の延長は再開が遅れるということだけではなく、政府にはコロナと戦うこと(人命重視)より、国威発揚(利権養護)を優先することが明らかになってしまった点が大きい。戦時中の構造によく似ている。オリンピックで金メダルが増えれば一定の盛り上がりは得られるが、その代償に普通の感覚で言う重病人が大量に生まれている。気がついたときには、敗戦状態になりかねない。
感染対策が上手く行っていないのは日本だけではない。人口比での感染者数も死亡者もデータで見る限り日本はよくやれている方だと言える。ダイヤモンド・プリンセス号の事例については「クルーズ船の隔離は「失敗」だったのか、専門家が語る理想と現実」にあるように2020年2月3日から対応が始まり、今振り返ればわからないことばかりの時期にかなり良い結果を出せたと言えるだろう。この記事の中で、執筆者は「危機管理や緊急対策の成功の10%は戦略(知識や専門技術を含む)、90%はオペレーション(ロジスティクスや調整も含む)に懸かっている」と書いている。有事の際の経験則としては直感に合うが、有事に焦点を当てなければ、90%が戦略、10%がオペレーションの方が現実にあっていると思う。火事場の介入は多分に属人的だが、社会システムが整っていれば火事場自身が起こる確率が減る。橋本岳のように有事を乗り越えたと手柄を誇る政治家など最悪だ。現場で困難を乗り越えた人は幸運であったことを理解している。ベテランは準備や訓練を行っていても勝率を上げられるだけであって危ない橋を渡り続けていればいずれ落ちることを知っている。だから、次の火事場を起こさないために何をしなければいけないかを考えなければいけない。
2020年春の段階で、各国の報道の動きは結構活発だったと思う。NHKや新聞社、テレビは海外での状況や専門家の見解を丁寧に伝えていたと思う。NYタイムズのデータベース整備とプレゼンテーションも非常に素晴らしかった。この時期にR0/Rtという用語に接した人は多かったと思うし、Rtの意味するところを理解できた人も少なくなかったと思う。中でも西浦博氏あるいは感染症数理モデルのインパクトは大きかった。そして、専門家の意見を聞いたほうが良いという空気を醸成したマスコミの貢献は大きい。「8割おじさん」というキャッチの影響もあったと思う。
保健所の貢献は大きかったと思う。私が保健所に関わったことがあるのは職場で結核感染者が出た時のことだ。保健所は、火事場をつくらない(感染爆発を起こさせない)のが仕事で地味だが、火事になるまえに防げれば素晴らしいことだ。DMATや自衛隊は立派だったが、出番が無いほうが良い。それが「90%が戦略」の本質である。もちろん、DMATや自衛隊が無意味だと言っているわけではなし、有事は起きるから基調な存在だと思っている。しかし、出番はないに越したことはない。
逆に戦略は実効性を発揮するまでに時間がかかる。訓練された兵隊を投入するのはすぐできるが、訓練された兵隊を育成するのには時間がかかる。ヒーローを称揚しても消耗戦をやっている限り勝てない。振り返れば最初の緊急事態宣言で、ぐっと抑え込めた時に何を戦略として織り込めたのかが問われなければいけない。簡単にまとめてしまえば、プロセス設計が必要だったのだ。第二波、第三波が来るのは予想されていたのだから、起きる前提でどういう規制を発動するかを計画しなければいけないし、逆にただ抑えるだけでは社会が持たないから、緩め方を計画しなければいけない。感染症数理モデルはそれなりの精度で的中するので、そのモデルを高度化する実験計画を立てるのが王道と言えるだろうが、ほぼどの国であっても政治がそれを許さない。即効性がないことを嫌うからだろう。
モデルの高度化を行うためには、モニタリングが重要となる。因果関係をつかむために仮説を立てて、それを検証可能なデータを取り、検証してモデルを改めれば良い。指標が一定の値になった時に、発動するアクション(規制)を決めてモニタリングを続ける。発動するアクションを地域ごとに変えるなどして、規制の効果も計測するのが望ましい。一律に同じ対応を取るより、違う対応を行って知見を高めたほうが良い。適切な統計的情報開示と分析結果の開示、透明性が必要となるだろう。オープンソースアプローチが望ましい。
個人的には、まずオリンピックの中止が適切だと思うが、それで問題が軽減されるとしても解決するわけではない。人流を止めれば感染も止まることは分かっている。だから、やれば良いと思うけれど、乗り越えていくためのシステムあるいは判断モデルを作っていかなければずるずると思いつき政策による被害が増えるだけだろう。
少なくとも説明責任を果たせない政権あるは政党に存在価値はないと思う。事実に向かい合う能力を失った組織は衰退するしか無い。
私は金メダルを一つでも多く取るのを良しとするナショナリスティックな政治よりは、運動能力平均値や中央値が高い状態を目指すほうに価値があると思う。強さよりは、生き残る人が多い社会を好む。