しばらく前にこの前の日曜日に思ったことを書いた。そして、今週以下のTweetをした。
昨日牧師の説教を聞いていて思ったのだが、彼は本当に自分が過ちを犯したことに全く気づいていないのだ(分かっていればとてもあんな説教はできない)。興味深いし、本当のところは分からないが、理不尽な弾圧が無意識であれば、実はとても怖いことだ。他人事ではない。
— Takayuki Hagihara (@hagi60) July 12, 2021
そして、私は思った。
だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
自分を選民を思ってしまうと人間は壊れるのだ。