コロナ長期化への備えの時期が来た

hagi に投稿

昨日尾身茂氏が『20代~50代の皆さまへ:今、実行・拡散してほしいこと』という記事をコロナ専門家有志の会として発信した。

もう一度冷静になって考えれば、今後数年は少なくとも元の自由な世界は戻らない。1年後には日本ではエピデミックは脱しているかも知れないが、パンデミックは解消されないだろう。

今重要なのは、後1ヶ月とか3ヶ月ぐっと我慢すれば元の日常が戻ってくるという幻想を捨てることだ。

もちろん、短期的に今の感染爆発を止めなければ大変なことになるのは必至で、とにかく一旦止めないわけにはいかない。だから記事にあるような対応は避けて通れない。しかし、短期で止めればなんとかなるかといえばそうではない。仮に陽性者がゼロに抑えられたとしても、集団免疫が獲得でき、治療方法が確立しない限り意識し続けなければいけない。北京近郊で再び感染拡大が起きていることを考えれば、いつ制限モードに戻るかわからないのである。

一緒に御飯を食べ、飲んだりしながら会話をするのは人間関係を形成する上で極めて重要な意味がある。ある程度のリスクがあっても会うことには価値がある。しかしエピデミックの状態で感染のリスクを取るのは当事者だけの被害に留まらない深刻な影響を及ぼす。会食や集いと同等の満足は得られないとしても代替手段を模索するしか無い。

ちなみに、胃袋数は変わっているわけではない。自宅で食べようがレストランにいこうが、一定量の食事を摂っている。

コロナで変わったのは、体験提供サービスビジネス環境だと考えたほうが良い

バーや飲食店は、飲食を提供しているけれど、お金を払っていたのはその空間とその時間で得られる体験だったのだ。もちろん、できたての温かい食事そのものも体験だけれど、同じものを一人で黙々と食べても同じ体験は得られない。

オフィスもコワーキングスペースも機能提供はサービスの一部に過ぎない。一人で行う集中作業は在宅環境が整っていれば、ワークスペースにわざわざ出向く必要はない。しかし、人が集うスペースに行きたくなるから行くのだ。入社と有料会員としてコワーキングスペースに所属することの意味は近い。仲間になるのだ。もちろんゼロいちの関係ではなく、属することの価値は人によってさまざまである。

サービスを受ける側は、エピデミック時には物理的に集まることをあきらめなければいけない。

サービスを提供する側は、従来の需要の代替手段を探さなければいけない。

企業は、従業員に対してサービスを提供する側面をもっている。給与は重要な要素だが、オフィスでの体験も職務での体験もサービスの一部である。ブラック企業も従業員に対して体験サービスを提供している。ブラック企業に関わらず多かれ少なかれ滅私奉公を求め、それに応えることが従業員の満足度を高めている。顧客に対しても、ロイヤリティプログラムなどで忠誠心を求め、それに応えることがある意味でマゾヒスティックな満足度を高めている。心の問題は重要なのだ。

短期的には、排他性を高めれば忠誠心を高めることができる。所謂アメリカファーストアプローチや美しい日本を取り戻すといった愛国心をくすぐるような動きと近いものだ。しかし、そういうアプローチには持続性がなく、カルト化していく破滅への道だ。

持続可能な方法はユーザーにとってのサービサーの価値を分析して物理的に集まれない前提で代替手段を確立することだろう。レストランならUber Eatsは一つの選択肢となるだろう。しかし、お店の雰囲気や接客が集客につながっていて味はそこそこという場合は成功しない。それなりのコストで手軽に温かい食べ物が提供できる場合は、キッチンカーなどは代替手段になるだろう。言い換えれば、エピデミック時期に店舗が運営できないならキッチンカーに需要が奪われ、顧客がその代替価値になれれば、元に戻ることはない。環境変化は残酷である。

ワークスペースサービスは、機能面と体験面を見直す必要があるだろう。みんコワはひとつの解となるかも知れない。物理的に集まることができない時は、ここで過ごすという体験サービスが今後育つだろう。価値に気づく人が増えれば、エピデミック後も生存可能なビジネスとなると思う。

ちなみに、PAX Coworkingはかつてのスペースを閉じたが、そのコミュニティは依然として機能しているように見える。確立したコミュニティには必ずしも物理的な場所は必要ない。一方で、新たなコミュニティが立ち上がる段階では食事をともにする空間が必要となることを佐谷さんは見据えているように見える。コミュニティをホストするということは、コミュニティメンバーの自律性を高め、互いを尊重し合う場を醸成することなのだろう。新しいリーダーシップの形が垣間見える気持ちがする。

コロナの影響はまだ数年続くと考えて、耐えるだけの道から、新しい時代への新たな船出を考える時期を迎えていると思う。