3日間のCoworking Europe(CWE)が終わった。今年はオンラインでリアルに会えなかったのは残念だったが、数人、旧交を温める機会が得られただけでも大変幸せなひとときであった。6月7日以来不愉快な時を過ごし続けてきたのが少し癒やされた気持ちになった。
クリップしたCWEのセッションの画像は象徴的だ。Web会議の相手から見えている彼は、紛れもなくCOVID-19前の常識、謂わばかつての羽織袴の時代の風体の現代版である。しかし、実際にはサンダル履きで現時点でもそのまま外出するのはためらわれる装いだろう。
美しい日本とか、ちょっと前の「普通の」主日礼拝を取り戻したいと考えたりするのは幻想である。一度大きな変化が起きれば元の世界は戻ることはない。原発事故前とか、津波前、あるいはずっと昔の原爆前の日本になど戻れるわけがない。実は、大きな変化が起きなくても一瞬前にすら戻ることはできないのである。それを私は、しばしば「保守は亡国」というキーワードで主張している。
CWEのセッションでも、post COVID-19をpre COVID-19と同一視してその延長上に位置づける人もいれば、そうでない人もいる。二元論的な単純化は危険なのを承知で捨象すれば「そうでない人」は過去の幸せな記憶のダークサイドを思い起こさせる行動を取る。画像のプレゼンテーションをした人は、今の常識で考えればどう見ても人間を人間として扱っていないことが伝わってくる白黒のオフィスの写真を用いて新しい未来を作っていこうという力強い主張をしていた。
人の心は、それほど簡単には変化に適応できない。それは事実である。しかし、時計の針を戻すことはできないのだ。それも事実である。
過去の自ら作り上げた幸せな過去を取り戻そうとする動きは必ず失敗する。しかもしばしば大量の人死にを伴って失敗するのだ。恐らく、リアルな人的な接点はCOVID-19前より輝きを増すだろう。私は、心からそういう接点を望む。同時に、それを望んだとしても、決してCOVID-19前と同じにはならないことをわかっている。とはいえ、頭でわかっていても体はそう簡単にその事実を受け入れることはできない。恐らく、それを「老い」と呼ぶのが適切なのだろう。