政府への信頼が崩れた時に頼りになるのはセキュアな通信路だと思う

メッセンジャーアプリのメッセージを公権力が解読できるようにするべきだという力が強まっているように見える。日経新聞の「フェイスブックの暗号化、日米英などが見直し要求へ」という記事を読むと、テロや犯罪防止の観点で強すぎる暗号は具合が悪いというのは理解できる。しかし、2人だけの絶対の秘密というのを求める欲望は無くならない。そうでなくても、公開暗号系のキーペアを安全に届けたいと行ったニーズは確実に存在する。

Coworking Europeだったと思うのだが、数年前にTelegramが会議の共有プラットホームとして使われていた。安全性が高いと考えられていたからだろう。世界には、ちょっとした自由な発言が逮捕監禁につながるような場所もある。昨今の上海の動向も記憶に新しい。様々な人が自由に意見を述べられるように、口頭で話すより安全なツールとして意識的に選ばれたのではないかと思っている。

法執行機関が信頼できなくなったら、相当深刻である。まさか、日本でそんなことは起きないと高をくくっている人がほとんどだろうが、歴史は案外壊れる時はあっという間であることを示している。最初は、あまり好まれないタイプの人が標的になるが、いつの間にか誰もが危険を感じるようになり、気がついたときには手遅れとなる。私は政府はあまり信頼してはいけない存在だと思っている。良し悪しではなく構造的に信頼すべきではない(権力を独占させてはいけない)と考えている。もっと小さな組織でも同じだ。ただ、人は強いリーダーを欲する性癖があり、よほど慎重にしていても罠に落ちる。

もちろん、テロや犯罪は防止できないと困るが、私はプライバシーは基本的人権の一つだと思っている。何をプライバシーとして認めるかは相当丁寧に議論する必要があるが、公権力が安易に踏み込めるのが正しいとは思わない。一方で、秘密は持てば持つほど不幸になると思っている。人にしゃべれないような事がたくさんある人が心の平安を得られるとは思わない。秘密を共有する関係はある種の束縛となり、もしそういう関係に亀裂が入るとかなり深刻な事態を招く。だから、プライバシーが確実に守られるツールを使いたくなるシーンが来ないほうが幸せだと思う。ゼロにはならないだろうが、隠し事は少ないほうが良い。

政府との信頼が崩れた時に重要となるインフラの一つは、プライバシーが確保できる通信経路だと思う。それを脅かす動きを支持しない。