このブログを読んでいただいている方の多くは、私が砧協会、具体的には牧師や役員会と揉めているのを知っていると思う。今日、私は覚悟を決めた。まあ、私の覚悟など一瞬で転んだりする程度のものだが、それでも覚悟を決めた。
昨日の礼拝の報告で、本年度第二回総会が成立し、現執行体制が信任された。十分な情報が開示されての総会とは思わないが結果は結果である。同時に、第一回総会の主日礼拝会堂開催は役員会に白紙委任(無条件一任)の政治的正当性も確立した。もはや、会員の総意をもって私の主張は却下されたのと同じである。一連の騒動はこれでこの世では終止符を打った。もうそれ自身は蒸し返しても詮無いことだ。
最近、日曜日の晩はほぼ毎週心乱れて眠れない。昨晩もそうだった。ただ、一区切りついたので別の視点で見ることができた。それが表題の「死と宗教」である。正直に言うと、私が最も印象に残っている死は福井真一郎君の死だ。もう40年以上が経つ。まだ高校生だった。その葬儀の時は本当に長蛇の列ができ、皆が泣いていた。当時の牧師も泣いていた。多分、私は泣いていなかったのではないかと思う。もちろん、寂しかったがこの世の人生を走り終わっただけだと思ったからだと覚えている。記憶は意外とあてにならないが、そう思っている。
記憶はかなり曖昧なのだが、その葬儀の時に、母親世代の人が、キリスト教で送って成仏できるとは思えないという意味の発言をしていたのを今もしばしば思い出す。彼女の根拠は当時の司式者が魂は救われると説きながら泣いていたから、牧師本人すら信じてはいないのではないかというものだった。実は、当時私も牧師がなぜ泣くのかよく理解できなかった。重ねて実は、今も葬儀の時に牧師が喜びのメッセージを発しないのが理解できないのである。人は、冷血と思うかも知れないが、死は必ず誰にでも来るもので、特別なことではあるが、当たり前のことでもある。
この歳にもなれば、数えられないほどの葬儀に参列し、導師や僧侶、牧師のメッセージを聞いてきた。浅いと思うものもあれば、深いと感じたことも稀にはある。また、参列者の満足していないつぶやきも無数に耳にしてきた。少なくない人が、この宗教人に葬儀をしてもらっても魂が救われるかどうか疑わしいと考えている。自分が死んだ時のことを考えると怖くなるので、自分の気持に気がつけば、疑問は消えていなくても成仏できるに違いないと思い込もうとする。それで心は安定するかも知れないが、本当のことは誰も分からない。
その上で、昨日改めて考えて得たのは、現在の砧協会の牧師に自分の葬儀を任せるのはまっぴらごめんだという思いだった。クリスチャンとして死にたいとは思っているが、キリスト教の代表者として主任担任教師に送られるのは御免被りたいと思ったのだ。不敬である。伝統に従えば、破門相当の言動であろう。しかし、思ってしまったものは事実で、その事実を自分で否定することはできない。もちろん、私が個人的にそう思っただけで、他の人には何ら関わりのないことであり、それぞれが自分の思いのとおりに振る舞えば良いと心から思っている。ただ、私はそう思った。それだけのことである。
死は怖い。近くにいないときは気が付かないが、近づくと怖い。ただ、近づきすぎた時(脳虚血で救急車で運ばれた日)は怖さとはちょっと違ったような気がしている。死に直面すると自分は何を信じているのか、自問することになるだろう。宗教活動はある意味で、そのシミュレーションの繰り返しである。
私は彼が亡くなってほぼ一年後に受洗した。彼の死は相当私に影響を与えたのだと思う。なぜ私が川を渡ってしまったのかは分からない。しかし、一度渡ってしまうと元の世界には戻ることはできない(本当はできなくはない)。恐らく、死と向き合うことによって、宗教は意味を持つ。そして、時代とともに宗教と結びついている価値観は変容する。古いものを脱ぎ捨てなければ新しい時代は到来しない。