Facebookで書いた記事を一部訂正して再掲。
『【事実隠ぺいの代償】国益に反する厚労省のリスクコミュニケーション失敗《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㉙》』という記事を読んで共感するとともに反省する気持ちにもなった。
書き出しは「なぜ、日本の組織では、正しい判断は難しいのか」である。私の言葉に翻訳すると「なぜ、砧教会では、正しい判断は難しいのか」である。以下はFacebookに岩田氏の記事を引用した記事をそのまま掲載する。
毎日新聞の『ダイヤモンド・プリンセス号の実相』(連載)を読むと、前線に立っていた方の努力と工夫は相当なものだったらしいことがよく分かる。心から敬意を表したい。一方で、岩田氏のビデオは衝撃的だった。そして、感染対策に穴があった事実は明白だと思う。また、事実の開示がパニックを招くと判断した時にどう動くのが良いかという問いの答えは難しい。短期的には嘘をついたほうが良い結果を生むケースもあるだろう。
私は某副大臣が自分たちはうまくやれていると発言した時に吐き気がした。不備の事実が明白になっているのに結果オーライだったのは自分たちが正しいからだと言う発言は極めてリスキーで次は結果アウトとなる大災害の原因となると思うからだ(実際には結果オーライですら無かった)。結果オーライは喜んで良い。賭けに勝ったと喜んでも良い。しかし、事実とは異なるUnder control発言を行うリーダーを放置するのは破滅を招く。未知の感染症と戦う時にうまくやれるわけなどない。知識と知恵を総動員してリスクを下げることはできるかも知れないが、ゼロにはならない。国益に反するか否かには私はあまり興味はないが、主権者は、行政には事実を誠実に開示するように求めていかなければいけないと思う。不備があるのが事実なのにそれを認めない組織は信頼性を失う。
一方で、うまく行っていて欲しいと願う人は、根拠がなくても力強い発言を聞くと喝采したりする。合理的な方策をとっても、成功確率が高まるだけで、結果アウトになるケースも少なくない。今回の結果オーライをリードした人は次回も結果オーライを導くだろうと期待してしまう人の気持も分からないではない。しかし、結果オーライリーダーを周囲が擁護し続けていると、もともと善良だった人ですら狂い始めるのを見た人は少なくないはずだ。
しかし、繰り返していけば勘や度胸で走り抜けることはできず、必ずほころびが出る。その際の定石は倍プッシュだ。問題をすり替え、より掛け金の大きい方向に走ることで権力の維持をはかるようになる。勝ち馬にのったつもりのフォロアーを引き連れて破綻の道を進む。破滅的な破綻の前に躓いてくれれば良いのだが、早めに躓いたとしても大抵は大きな負の遺産を残すことになる。
まず偉人伝を排すところから始めるのが良いのだろう。人に張るという考え方から脱却する方法を探る必要があるのだと思う。事実を曲げてはいけない。
引用記事では、「情報を隠した代償――国際的な信用失墜」と書かれているが、実際には、それほど国際的な信用失墜は起きていないと思う。国際的に見れば、数ある情報隠蔽の一例に過ぎず、一部では信用を失っているが、それほどでもないと思う。しかし、記事には書かれていないが、『「うまくいってます、大丈夫です、ちゃんとできてます」という大本営発表をする』のは、大災害の予兆なのだ。
ふと、パウロは生前のイエスに対する関心が薄かったという伝承を想起した。実際のところ、聖書を読めば読むほど、人間イエスはそうとうやばい。しかし、イエスの教えは革新的で核心的だと思う。パウロは偉人伝ではなく信仰の本質を説いたのだと思う。イエス伝、福音書を含む偉人伝は人の感動を生むが、それだけではパラダイムシフトは起きないのだと考えている。
まあ、岩田氏も私も、「そこまで言わなければよい」のだろう。明らかに短所でもあるが、同時に長所でもあると思う。
6月7日は結果オーライだった。しかし、それは単なる結果オーライだった。約束を違えて会堂の扉を開いたことをごまかしてはいけない。無事感染者が出なかったことは2週間後に心の底から祝った。しかし、だめなことはだめと言わなければ大災害が起きるリスクを高めてしまう。