立憲民主党への合流で考える

私は、共産党の党員ではないが、政策提言を見る限り、最も全うなことを主張しているのは共産党だと感じている。穿った見方なの百も承知で言えば、今回の合流は共産党との一部協調を許すか否かの踏み絵だったと見ている。

自分自身にそういう性癖があるが、純粋を求めると「ねばらなない」という発想に陥りがちだ。その結果、権力が集中してしまい、権力が集中すると一時的には良くても結局腐敗してしまって独裁の弊害が出る。自由が失われてしまうリスクが大きいのだ。私は、共産主義あるいは社会主義政権でその罠に陥らなかった例を見つけることができない。だから、どれだけ全うなことを主張していると思っていても、政権を任せてはいけないのではないかと思っている。逆に言えば、野党としてはとても重要で、消えてもらっては困るとも思っている。

共産党は様々なことを理路整然と説明する。他の政党と比較すると論理的であることと感情的であることのバランスに顕著な差がある。そのバランスが感情に振れることをポピュリズムと言うのかも知れない。ファクトチェックは、かなりの部分を共産党に任せたいが、最終判断は正しさだけでなく民意とのバランスが取れなければ恐らく支持も得られない。

不謹慎だが、ちょっとおもしろいと思うのは、コロナ禍での冷静さは防衛関係者と共産党がピカイチだと考えられる点だ。防衛関係者は、日頃から様々なリスクを考えていて、米国の The third offset strategy を引くまでもなく、脅威を国の範囲で捉えていない人がいる。感染症も、温暖化の影響も冷静にリスクを分析している人がいる。国によらず、共産党はかなり科学的なので独裁の弊害が起きない限り、事実を大事にする。人々が自由を求めても、感染の死亡リスクが高ければ、そちらの事実を優先的に考える。その後のアクションはその時点に置かれた状態によって違ってくるが、判断の前に合理性を追求する姿勢は国によらず共通しているように見える。ただ、しばしば、共産党の維持のために、どの選択が合理的かと考える独裁の罠に落ちるようにも見える。

官僚機構は、本来合理性を追求するように制度設計されている。うまく機能させ、タレントが集まるようにできると、民の豊かさは増えるように思う。そして恐らく、この世の政治・行政に決定版などない。今は世界中でポピュリズムの嵐が吹き荒れているが、衆愚政治を廃して合理的な判断をすれば多くの人が幸せになれると言うほどこの世は単純ではないだろう。ただ一つ言いたいのは、政治の世界にも独占禁止法に相当するルールが必要だと思うことだ。

蛇足になるが、宗教は心の問題に向き合わなければいけないので、時に合理的な判断ができなくなってしまうことがある。私は、今は戦時だと思っている。不合理な判断には激しく抵抗したい。