GCUCオンラインUnconferenceに参加して

hagi に投稿

今年のGCUCは4月にシアトルで開催される予定だった。早々に延期になったが、恐らく再延期か中止になるだろう。昨日、4月9日(日本時間では10日超早朝)にZoomでのUnconferenceがあり、100名以上の参加者がいくつかの議題で討議した。各20名程度のブレークアウトセッションを行い、Unconferenceと言いながら、共通のお題を準備し、顔の売れているモデレータを立ててやったため、ストレスもなく問題なく良好な体験ができた。

一方、最近いくつかのZoom飲み会やZoomイベントに参加し、5、6名なら、半分以上が既知なら、モデレータがいなくても概ね雑談を楽しめることが分かった。また、物理的な飲食店とは異なり、閉店や時間制限がないので、切り上げ方が難しいことも分かっている。

Drupal Meetupなど、リアルなイベントでフォーマットが確立している場合は、終了時間も暗黙知化しているので、10人を超えても機能するだろう。

期せずして、昨日、FacebookでZoom飲み会のはしごと思われる記事があったのに驚いた。1つ目のZoom飲み会が40分枠で、それを1回延長した上で、その中の一部の人が、一緒に別のZoom飲み会に途中合流したようなのだ。完全に、私の想像を超える動きで、本当にびっくりした。

GCUCのような大きなカンファレンスは、キャラの立つ声の大きい人がいくつかの流れ(空気)を作る。大きいカンファレンス、広い意味でのコミュニティが持続的になるのは、それらの声の大きい人の一団の多様性が重要な感じがする。声の大きい人は概ね望ましい将来の形をもっていて、相互に相当な隔たりがある。商売を極大化するにはどうすれば良いかを追求している人もあれば、女性が安心して執務できる場所を実現することを目指している人もいれば、フリーランスが生き生きと活躍できる環境を整備したい、そのために保健制度まで踏み込んで社会活動をしている人もいる。GCUCに参加する人は、それぞれのある意味尖った意見を聞きながら学ぶ。誰かに傾倒してしまう人もいるし、良いとこ取りで動く人も多い。コワーキングやオープンソースのコミュニティは、前提として「個の尊重」を中心に据えているので、参加者の意見に隔たりがあっても排他性が高くなりすぎなければ機能する。声の大きい人の中に排他性が強く出る人が目立つとコミュニティは停滞してしまう。一方、最初の立ち上がりは教条的な人が動いたほうがインパクトがあって人数が集まる。

アンカンファレンスの面白いところは、声の大きい人ではない比較的無名な人がお題を提供して興味のある人がその場で参加する集まりを選んで議論するところにある。意見の一致は問題ではなく、関心のあるテーマがあればそれぞれの無名な人が意見を述べ、自分の考えを整理できる。人が集まらないケースもあるが、それはそれで良いのである。GCUCは、オンライン型ではまだアンカンファレンスの機能を実現できていないが、これから模索していくことになるだろう。

Zoom飲み会のはしごは、オンライン型アンカンファレンスの雛形となる可能性があると思う。

GCUCのような大きなコミュニティが枠だけを決めてディレクトリサービスを準備するなどして、無数のアンカンファレンスZoomが同時並行的に立ち上がったことを想像してみよう。仮に1時間枠で、19時スタートだったとする(一旦グローバル時差は無視)。私は週一回はアンカンファレンスZoomに参加しようという習慣をつけようと思ったら、興味のあるお題が設定されているアンカンファレンスZoomに参加する。運営者であれば、入退館管理の動向を知りたい、意見交換したい、とか。コワーカーであれば、Wordpressで商談が得られそうなコミュニティを探したい、とか。10名程度の参加者で立ち上げ者の所信表明が10分、参加者のスピーチ2分×10、フリーディスカッション20分、ラップアップ10分で1時間、流れ解散型の延長時間を30分用意しておいて、その中の誰かのZoomミートアップに何人かが流れて出ていくという形で新たな知り合いとの出会いが確立できるかも知れない。2、3人で連れ立って、次のアンカンファレンスZoomを立ち上げたり、面白かったアンカンファレンスの感想を言い合うような飲み会風のZoomも動き始めるかも知れない。

ポストパンデミックの時代は、オンラインはしごとリアル居酒屋の混在になるような気がする。エピデミックのない状態だとリアルの比率が上がり、危険度が高まるとオンラインの比率が上がる。多くの人が、どちらの形態にも対応可能な成熟度に達し、環境変化に強くなっていくのではないかと思う。オン(バーチャル)・オフ(リアル)混在が常識的なことと認識されるようになると、「移働」も普通なことになるだろう。住む(居る)ところはリアルだが、社会活動はバーチャルでも良い。

不動産はFlexオフィス化を超える大激震に見舞われるだろう。Flex化はさらに加速し、そのフォーマットは今とは違うものになる。コワーキングスペースは、ビジネスとオフィスのアンバンドリングだ。そして、次に今起き始めているのはコワーキングコミュニティとスペースのアンバンドリングだ。そう考えると、佐谷さんがコワーキングスペースをたたみ、伊藤さんが移働の時代を提唱しているのは、道理に叶う動きに見えてくる。パンデミックが時代の変化を加速させる面、保守化を促す面のどちらをより大きく後押しするかはわからないが、前者の側面が強ければ、時代は大きく動くだろう。ちょっとワクワクする。