COVID-19は社会に激震をもたらしていて、今後恐らく社会の形を変えてしまうだろう。
私自身はリモートワーク専業なのだが、今週は、ほとんど仕事が入っていない。今後10%とか20%のオーダーで失業者が出てくるような時期を迎えるとしたらどうなってしまうのだろうかと恐ろしく思うが、バタバタと動いても事態は変わらない。こつこつと、商談を探しつつ、やれることをやるしかない。多分、今までとは違うタイプの商談(あるいは顧客)を探さないといけないだろうと思っている。とは言え、まず生き残ることを優先しようと思っている。
命の問題はまず一人の自然人としてどう生き残るかという話であり、次いで、家族や親しい人と一緒にどう危機を乗り越えるかという話になる。今日は、雑談のような形ではあるが、妻とどちらかが感染した時(感染が疑われる事態になった時)にどうするかを話した。まあ、常識的な対処方法を確認しただけだ。もう少し考えてみると、1人が陽性者になって家を出た場合、残るのは1人。高熱を出すなりして倒れたら、それで終わりだ。妻が治って帰ってきたら自分が死んでいたとか、自分が帰ってきたら妻が亡くなっていたなどという未来は絶対見たくない。だとすると、もう少し広いネットワークを機能させておかないといけない。実家であったり、兄弟であったり、相互に連絡を取り合って、何らかの対処ができるように準備しておくに越したことはない。ここまでは、自助。
周囲には一人暮らしの人はいるし、その中には親戚が一人もいない人もいるだろう。そうでなくても、頼る人のいない人はいる。何らかの支え合いは不可欠だ。私の場合は、教会が中心的なコミュニティで、もちろんそれぞれが自立していることが前提だが、一定のレベルで助け合う意志をもった集団である。地理的には分散している。もちろん、町内会は存在していて、祭りに参加する人たちは、そのコミュニティで活動している人は互いに助け合いの対象となるだろう。地縁に属す。会社もコミュニティだ。多くの人が同時に複数のコミュニティに属していて、適当な優先順位をつけて関わっているはずだ。もうちょっとインフォーマルなコミュニティには飲食店の常連とか、コワーキングスペースのコミュニティもある。コミュニティとして上手く機能させられるタレントがいれば、互助のレベルが向上する。ここまでが、共助。
公助は、「法律や制度に基づき、行政機関などが提供するサービスなど」で、互助では乗り越えられないような不足を大きな単位で解決していくものだ。
いろいろ思うことはあるが、私は、やはり自助、共助で乗り切るのが適切だと思う。経済活動で見れば、今回のような突然の災害が起きた場合に、蓄えを切り崩して支え合って危機を乗り切るという事だ。もちろん、金だけの問題ではなく、持てる力を供出して皆で生き残るという活動である。日頃関係を大事にしていないと中々機能しない。家族であってもだ。
地震や台風の時もそうだが、持てるものがある日突然持たざるものに立場が変わることがある。コミュニティとして上手く機能させられるタレントも風向きが変わると機能不全に陥ることはしばしばある。諸行無常である。
今、まず現金を撒け、いやマスク2枚だなどと公助を求める声がある。どう見ても、うまく機能しているようには見えない。それは、日頃、自助、共助を大所から見ていなかったからだと言って良いと思う。格差が拡大して僅かな期間に備える蓄えもなく、生活が破綻してしまう人がいる。準財政破綻国家だから、いざという時に安心して使える蓄えがそもそも国にない。緊急避難は何とかして乗り切るとして、今一度公助、行政機関が提供するサービスを決める法律や制度を考えなければいけないと思う。大事なのは、自分の要求に基づいて意見を求めるだけでなく、どういう世界を作ることをゴールとして設定するかだ。
私は、弱肉強食、あるいは「強い日本」を目指すと、富める者も幸せにはなれないと思う。社会が脆弱になるからだ。近未来を考えると、現在の仕事の50%が一度失われるとして、なおかつ社会が崩壊せず、その50%の雇用を代替する新しい動きが生まれ、その過渡期を乗り越えられる方策が必要なのだと思う。資産課税、消費税増税とセットでBIを導入していくのが私には適切に見えている。Social Distancingが担保可能な社会は、大幅なインフラ更改を必要とする。まだインフラが整備されていない国や地域は、最初から取り組めるが、いわゆる先進国には不利に働く。それでも、上手く取り組めばチャンスはあるだろうと期待している。スペインやポルトガル、イタリアやギリシャでは、大昔の石の道や立派な建物が今も残っている。すごいなあと思うのと同時に、車は走りにくいし、技術の導入は難しい。日本は斜陽国であることを自覚して、一日も早く次の一歩を踏み出していくのが吉。